そもそも「ロック」とは何か?


われらがWikipedia様から一部引用すると「ロック」とは、もちろん音楽ジャンルの一つであり、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD)
 より一部引用開始)


最初期の多くのロックは既成概念や体制に対する反抗心や怒りを強く表現することが主体で、
対抗文化(カウンターカルチャー)としての存在意義を持っていた。


(引用ここまで)


この「既成概念や体制に対する反抗心や怒りを強く表現すること」が、
「アンチからオルタナティブへ」を標榜する自分としては、カッコいいことだと
今でも思っているということなのだろう。


(「アンチからオルタナティブへ!再び」 
  http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20101212 参照)


いや、もっと掘り下げれば「カッコいい」という以上に
ロック的なものに「憧れている」だけかもしれないとも思う。


32歳にもなってロックを「カッコいい」だの「憧れている」などというのは、
書くのも気恥ずかしいが、それが自分なのだからしょうがない。


自分にウソをつかずに生きていくこと。これがいかに難しいことなのかは、
30歳を超えると本当によくわかる。


というよりも30歳を超えた今となっては、
「自分にウソをつかずに生きていくこと」それこそが
「ロック」な生き方なのではないかと本気で思うのだ。


その視点からこの2冊をあえて振り返ってみると、


レイジ

レイジ


「レイジ」の主人公の2人は、もちろん「ロック」な生き方をしたいと思っていたはずだ。
しかし、人生はそう上手くはいかない。


主人公の一人「ワタル」はバンドをあきらめ、芸能事務所に潜り込むことで生計を立てる。
この行動自体は、なんら不満はない。「ロック」なだけでは飯は食っていけないのだ。


むしろ世の中(読者)の大半の人は「ワタル」のような選択を結果的にしているはずだ。
しかも「ワタル」は自分の好きな「音楽」関係の仕事に就けたのだ。
それだけでも、もし現実世界にいれば相当ラッキーな部類に入るだろう。


だが、「ワタル」は明らかに、一度「ロック」の魂を売り渡している。


(「レイジ」のP191から引用開始)


そう。いつのまにかオレにとって、「音楽」は「音額」になっていた。
一曲書いていくら、ツアーを回っていくら、レコーディングを仕切っていくら。
モトリーのようなバンドでビッグツアーを回るなんてのは、遠い昔の夢物語だ。


(引用ここまで)


あえて、言おう。この「ワタル」の感覚は社会人として至極まっとうなものだ。
安い表現を使えば、「子供から大人にちゃんとなった」ただそれだけのことだ。
でも、決して「ロック」ではない。もっと言えば、
もはや「自分の気持ちにウソをつかずに生きて」はいない。


そして、もう一人の主人公「レイジ」は、バンドで成功しつつあり、
あと一歩で夢をつかめるというところで挫折を経験する。


ヤクザものに追われる身となったこともあり、東京から離れ、
栃木の宇都宮にひっそりと身を潜め、ガソリンスタンドでその日暮らしを続ける。


「レイジ」の心は完全に折れており、もちろん「ロック」魂も失ってしまっている。
未来に希望を失い完全に自暴自棄な状態である。まあ、これは仕方ない。
あんな状態になったら誰だってそうなってしまうだろう。


しかし、物語はここから急展開を迎える。


芸能事務所を辞めざるを得なくなった「ワタル」はたまたまドキュメンタリー番組のADの
仕事をやることになり、そのエンディングテーマに「レイジ」のバンド曲「風の彼方に」を
使ってもらうことを思いつき、それが実現する。


その結果、「風の彼方に」は大ヒット曲となり、歌っているのは誰だ?と世の中が注目し始めた。
そこで、「ワタル」は「レイジ」を探しだし、抜け殻となっている「レイジ」に
再びステージに立って歌うように説得するのだ。そのセリフがこれだ。


(「レイジ」P319より引用開始)


「いいか、よく聞け。
 誰にも聞かれたくねえ音楽なんてのはな、
 この世に存在しないんだよ。
 音楽ってのはな、必ず、
 どこかの誰かに聴かれるために
 生まれてくるもんなんだ。
 絶対にそうなんだ。
 (中略)
 オレが納得いかねえのはな、
 たった一つ、お前が嘘をついてるからだッ」


(引用ここまで)


間違いなくこの小説のクライマックスシーンであり、もしかしたら、
この言葉を伝えるために書かれた小説なのかもしれない。
もちろんいいセリフだ。ロック魂あふれているように一見感じる。


でも、俺の心には残念ながら響かなかった。いったいなぜなのか?


それは、説得している「ワタル」の方が
ここまで「自分にウソをついて生きてきた」というのを
なんとなく感じ取ってしまっていたからだろう。


一度ロックの魂を捨てた男(=ワタル)に、こんなセリフを吐く資格は
果たしてあるのだろうか?とどうやら無意識で反発してしまったらしい。


もし「レイジ」から「じゃあ、お前はどうなんだよ?」と聞き返されたとしたら、
「ワタル」は誠実に答えることが出来ただろうか?


もちろん小説のキャラ設定から言えば、世渡り上手な「ワタル」は、
うまく切り返すことができたかもしれない。
でもその返事は決して誠実な返事ではない。
自分(ワタル)にもレイジにもウソをつく偽善的な言葉でしか返事は出来なかったはずだ。


「ロック」とは「自分にウソをつかずに生きていくこと」
「レイジ」という小説は、俺と同じような感じ方(メッセージ)を伝えているような気がする
のだが、上記の点で、致命的なミスを犯しているような気がする。


「音楽」を「音額」と表現するのは、正直うまい表現だと思った。
本気なアングラのロックバンドが商業的なメジャーバンドに対して抱いている
軽蔑感をこれほどまでにうまく表現できる言葉はないような気がする。


だが、その代償は大きかったと言わざるを得ない。
あの説得のセリフに重みをもたせるためには、あくまで「ワタル」は「ロックの魂」を
捨てずに持ち続けていなければならなかったのではないか?


以下は、
もし、小説の展開がこうだったらどう感じただろうか?という
私の単なる妄想である。


例えば…


「ワタル」は世渡り上手だからこそ「ロック」の魂を捨てて上手くやっていくことは
本当は可能だった。でも「音楽」が本当に好きだから、自分にはウソをつくことが出来ず、
やっぱり「ロック」の魂は捨てられないと、芸能事務所の中で、上司に反発したり、
社会人としては上手くいかないことが多かった。
でも自分の音楽の才能の限界もわかっていたから、ロックの魂は捨てないまま
その現状をやむを得ず受け入れていた。


例えば、そんな状態で、フヌケになってしまったレイジに向かって、
お前は才能があるくせに、なんなんだ。という気持ちを高まらせて
上記の「いいか、よく聞け。〜オレが納得いかねえのはな、
たった一つ、お前が嘘をついてるからだッ」というセリフを
吐いたとすれば、素直にそのセリフを受け止められたのであろう。


素人風情が生意気なことを述べてしまったが、個人的に「レイジ」を読んだ後、
なんだかもの足りなかった理由はこれだったに違いない。わかってすっきりした。


長くなったので、手短にするが、
では、なぜ「立ち向かう者たち」にはロックを感じたのだろうか?


立ち向かう者たち (光文社文庫)

立ち向かう者たち (光文社文庫)


帯の文句には
「世の中から、こぼれおちたとしても。生きていくしか、ないじゃないか。」
「自分だったかもしれない彼らを、共感をこめて描き出す。じわりと苦い傑作集。」
とある。


この「立ち向かう者たち」とは勇敢な人たちの話では決してない。
むしろ「自分に正直に生きることが出来ない」つまりは
「自分にウソをついて生きてきた」男たちの物語である。
いうなれば、ロックじゃない男たちが主人公の短編集である。


では、なぜこっちの方がロックなのか?


この短編集は、ロックじゃない生き方、つまり自分に正直ではない生き方を
してきた男たちが、突如浮かびあがってきた、「自分に正直に生きてみたい」という
魂の叫びに対し、どう対応するのかをみせていく小説である。


読者の多くはロックの魂など、若いときに持っていても、
それを捨て去ることによって大人になり生きているはずだ。


そんな大人になった自分に突如としてロックな魂が亡霊のように
湧き上がったとしたら、どのように対応するだろうか?
もはや世間体もある。 そう簡単に今更自分に正直になんてなれないだろう。
それでも、やっぱり…。という決断を迫るドラマがこの小説の中には溢れている。


だからこの「立ち向かう者たち」という短編集は、まさしくロックを感じさせ、
私を満足させたのであろう。


やれやれ。1年ぶりに書いたブログ記事が、内向きで長文で嫌気がする。
でもこれこそが、32歳にもなってネクラなギャル男(というよりはチャラ男の方が近い)
っぽいという気もするので良しとしよう。


もし、最後まで読んでくれた方がいたらありがとうございました。
ちなみに僕は32歳のサラリーマンでありながら、まだロックな魂を捨てられません(苦笑)


上司にはむかって痛い目も何度か見ています(笑)
でも、こうなったら行けるとこまでいくしかないんじゃないでしょうか?


本日はここまで。