「信じる者は救われる」は本当だが宗教団体には気をつけろ!


でもって自殺から人を救うための
人類の偉大な発明が宗教だろう。


自己嫌悪は自暴自棄を生み出し、負のスパイラルが生まれ、
あげくの果てに自殺という選択肢が生まれたときに、
「信じる者は救われる」と言ってくれるのが宗教である。


このおそらくこの世の中に存在している宗教のほとんど全てに
共通しているであろう原理・原則が
「信じる者は救われる」というもので、
まさにそのとおりであると私は共感する。


しかし私は、どの宗教の信者でもない。
でも絶対的な存在GOD=神の存在は信じてもいいかな〜
というぐらいのスタンスである。


宗教が偉大な発明だと思うのは、
「信じる者は救われる」といっている点、
その一点のみが偉大である。


私の考えでは、宗教は組織化(宗教団体化)され始めると
例外なく腐敗すると思う。


だから、私はどの宗教、宗派にも所属しない。
ただ勝手に自分で絶対的な存在GOD=神を想定し、
勝手に信じるそれだけで十分だ。


オウム真理教というのが一番わかりやすい。
前述した「賢いフリをしていながらバカの領域に踏み込んで
アメーバー以下の存在に成り下がった高学歴の人間達」が
人生の路頭に迷い、すがるようにとびついた先が
オウム真理教という集団の正体であろう。


残念ながら、世界的な広がりを見せる
・キリスト協、イスラム教、ユダヤ教
 (実は3つとも同じ唯一絶対神をあがめているはず)
なども組織化を始めると同時に腐敗は避けられなかったはず。


新興宗教はもっとひどいと思うけど。


だから、「信じるものは救われる」という
全ての宗教に共通している偉大な原理・原則だけを
自分の中に取り入れて生きていけばいい。


これが出来るのは、
八百万の神を崇拝するとか
わけのわからない葬式仏教とかが氾濫する
世界でも珍しい無宗教国家に生を授かった日本人の特権のような気がする。


生まれた土地で、ほとんどの人が何らかの宗教団体に所属しているのが
あたりまえであるはずの海外では、そんなことは不可能に近いだろう。


はっきりいって、日本の一歩外にに出て、
旅先などで「お前は神を信じるか?」と尋ねられて、
「私は神を信じない」などといったら基本的に
諸外国の方々からはキチガイ扱いされて終わりである。


私は、宗教団体には所属していないが、
勝手に自分で絶対的な存在GOD=神を想定し、
勝手に信じているので、外国の人に上のような
質問をされたならば、「I believe in GOD」
と答えて、ウソもつかずに、キチガイ扱いもされずに
円滑にコミュニケーションが取れるのだ(笑)


話が脱線したが、
「信じるものは救われる」という
全ての宗教に共通している偉大な原理・原則だけを
自分の中に取り入れて生きていくメリットを述べたい。


上で書いたように、
「世界の常識人の仲間入りができる」
というのもメリットの一つだが(笑)
私が考える最大のメリットは、
存在しているのかどうかを絶対に確認することができない
絶対的な存在GOD=神を想定し、信じることができるようになれば、
すでに確実に存在している自分自身のことは
確実に信じてあげられるようになるのではないか?
ということである。


本当にいるかいないか確かめようもない神様を信じることができるのであれば、
確実に存在している自分のことを信じることなんて簡単である。


自分のことを信じてあげられるようになると
文字通り、自信が生まれ、いい循環が生まれるようになる。


実際に私は、上のような考え方でいい循環を生み出し、
負のスパイラルからなんとか抜け出すことができた。


まさに「信じるものは救われる」そのものである。


重要なのは既存の宗教団体に救いを求めないことである。
自己完結でも十分「信じるものは救われる」からである。


BLANKEY JET CITYベンジー浅井健一)も歌っている。


 (不良の森の歌詞より引用)


「いつかはみんなが好きになる


 神様はみんなの中にいて 嬉しさをくれる(から)」
 

人生に迷っているあなた。
だまされたと思ってお試しあれ!


最後に、この文章を書くきっかけになった、
副島隆彦という人が宗教の解体作業を着々と進めている。
私の言っている腐敗とは、
副島隆彦さんの言うところの理性(=合理・レイシオ)のことだと思う。


この宗教という人類最大のタブーの一つを暴こうとしている
副島隆彦さんの行為を上記の経緯から支持して見守っていきたいと思う。