「レイジ」と「立ち向かう者たち」を読んで 〜感想+α〜


レイジ

レイジ


ずっと買ったまま積ん読になり、ほったらかしになっていた
「レイジ」誉田哲也を一気に読了した。


決して面白くなかったわけではない。
ただ、読んだあと、無性に物足りない気持ちが自分の中で渦を巻いた。


そこで、これまた積ん読のまま、読んでいなかった
「立ち向かう者たち」東直己をこれまた一気に読了した。


立ち向かう者たち (光文社文庫)

立ち向かう者たち (光文社文庫)


すると、今度はむさぼるように読み進められ
そうそう、小説というのはこうでなくっちゃ、と思ってしまったのである。


完全に誤解を招く上記の表現だが、これは、この2つの優劣を表現したいわけではない。
これは単純なる私個人の単なる「好き嫌い」の問題である。


では、なぜ、こんな文章を俺は書いているのか?
この2つの小説を読んで、前者より後者に満足したのはなぜなのかが
非常に気になったのだ。


たぶん、それは俺にとって「ロック」とは何なのか?という問題のような気がする。
正確には「ロック」の精神とは今の俺にとってどんな意味を持つのか?という問題である。


一見「レイジ」の方が「ロック」な小説のような気がする。
なんてったって「ロック」バンドの小説なのだから。


でも「立ち向かう者たち」の方が内容的には100倍くらい「ロック」さを感じるのだ。
「レイジ」より「立ち向かう者たち」の方により「ロック」っぽさを感じた。
だから俺は「立ち向かう者たち」の内容に満足したというのが取り急ぎの答えである。