2013年「明けましておめでとうございます」(飛ばし読み可)
※ゆとり世代は漫画「ワンピース」世代だという仮説を今すぐ読みたい方は
⇒http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20130110/1357760210
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・2013年が始まった。「明けましておめでとうございます」
・本当に「おめでた」かろうが、本当は「おめでたく」なかろうが
「明けましておめでとうございます」というのが、日本の「古来から」の慣習である。
・この年齢(33歳)にもなると、そんな屁理屈をこねることなく
素直に「明けましておめでとうございます」と言えるようになる。
人はそれを「成長」と呼ぶのかもしれない。
・しかし、シャルル氏のいう「本音の時代」が普及していけば、
(参照 http://blog.goo.ne.jp/yogorouza_1979/e/29299669d7910ae24ef53035bd0a2547 )
「明けましたけど…あんまりめでたくないっすね」などという挨拶が
世にあふれる時代が近い将来に訪れるかもしれない。
あまりに「無粋」だ。
しかし、人はそれも「時代の流れ」だと言って抵抗なく受け入れるのかもしれない。。
・そして私は「明けましておめでとうございます」という挨拶は、
「日本の古来からの慣習」だ、と書いたが、
「プロ無職入門」の著者「高木壮太」氏にかかれば、
これもまた、明治維新からはじまった、せいぜい140年程度の慣習で
とても「古来から」と呼べるようなものではないかもしれない。
(未確認情報なので興味のある方は自分で調べてみて下さい)
プロ無職入門 高木壮太の活ける言葉 (P-Vine Books)
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https://twitter.com/TakagiSota から一部引用
1月8日高木壮太@TakagiSota
「バブル」という時代があって、日本人はみな贅沢と助平の限りを尽くした。
と私達は思いこんでいる。バブルの時代にも乞食は街にいたし、
一家心中もたくさんあったのに、それは無視される。
報道と記憶はトリミング自在である。
戦前戦中が暗黒時代だったというのもトリミングの産物なのではないか
1月7日高木壮太@TakagiSota
水子供養という習慣が一般的になったのは1970年代である。
それまではほとんどだれも知らなかった風習なのだ。
檀家制度が破綻し経営の苦しくなった寺院が大手墓石業者とタイアップし
水子供養を大々的に宣伝したのでひろまったのである。
・あと今、気にしておいた方がいいのは「荻上チキ」君と「津田大介」氏ぐらいかな。
↓「津田大介」氏↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BB%8B
なんとなく、だけどね。
不遜なことを言えば↓「荻上チキ」君↓には負ける気がしないんだけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E4%B8%8A%E3%83%81%E3%82%AD
もし、今の仕事をやっていなくて、評論家的なスタイルで飯を食っていこうと思って
そっちメインで活動していたら、今頃近いポジションにいたのかもな〜と最近急に思ったのです。
でも、やっぱり評論家は絶対にクリエイターには勝てない。と個人的には思うので…
田原総一郎がやっぱり偉大かもな〜と感じる瞬間があったり、村上龍や糸井重里になんとなく説得力があると感じられるのは、
やっぱりそれぞれ自分の原点となるディレクター、小説家、コピーライター、というクリエイターとしての
バックボーンがあるからだと思うのです。
そこが宮崎哲也氏や荻上チキ君が越えられない壁かな…と。
まあ、そんな了見が狭いことを言って、無駄に敵を増やしても仕方ないか(笑)
今年の目標は無駄な「敵」を作らないということに、まずはしてみます。
と、勝手に反省したところで、食わず嫌いは良くないと思い返し、
荻上式BLOGを初めて拝見。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/
第一印象は何よりも「あー、すごい誠実な人なんだ。」ということでした。
早速、さきほどの暴言をちょっぴり後悔。
福島の現場に丁寧に取材に行っている模様。
こういう地道な取材をちゃんと自分で出来る人は、やっぱりいいよね。
全然違うかもしれないけど、鳥越俊太郎さん的な匂いを勝手に感じた。
そして、上杉隆氏への反論?も共感できた。
(参照 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120323 )
ちょっと論点はずれるけど、上杉氏に関しては頑張っているとは思うのだけれど、
なんでもかんでも「記者クラブが悪い」に帰結させてしまうのが、やっぱり弱点なんだよな。
本来は健全なジャーナリズムとやらを確立させるという目的のための
「記者クラブ打破」という単なる手段が、まさかの目的化しているという
恐ろしいほどベタな「手段の目的化」現象の好例といったご様子。
結果、個人的に一番致命的だと思うのは、結論が常に一緒(「記者クラブが悪い」)だから、
この人の言論は常に「つまらない」ということ。
別に「面白さ」を求めているわけではない、と本人はいうのだろうが、
「not interesting(面白くない、興味深くない)」な言論が、ジャーナリズムだろうがなんだろうが、
果たして、オルタナティブ(新たな選択肢)を世に提示し、受け入れられ、何かを変えることが出来るかどうかと言ったら、
やはり出来ないと思う。
まあ、とはいえ、僕の掲げている「仮説主義」なんて、荻上氏から見れば、
上杉氏よりももっとたちの悪い、データや発言の裏が取れていない妄想の集積に過ぎないと
思われるだろうから、相手にされないだろうなあ、と思いつつ、
でも、あえて、日本の文化系の学問に蔓延している閉塞状況を打破するためには、
大胆な「仮説主義」しかない!と、私はそれでも思うというのを、ネットの隅っこに書き散らしておこうと思う。
と、ここまで書いて、荻上氏への暴言をかなり後悔した(苦笑)
しかもいくら年下だからといって、面識もないのに「君」付けするなんて、俺は何様なんだ?(苦笑×2)
しかし、このブログは、自分がその時、何を「感じて」いたか?という現象の集積を記録するものだったりもするので、
自分の無知から来た荻上氏への暴言をあえて消さずに残しておこうと思う。
なので、万が一、このブログが本人の目に止まってしまった場合、
素直に暴言を謝るつもりなので、もし生産的な共同作業(間違っても性行為ではない!)
が出来る余地があるようならば、是非ご一報くださいませ!
・では、そろそろ本題に行きますか!