90年代論①「小室哲哉現象」は日本最後の「共同幻想」だった論。


たぶん「共同幻想」ってそういう意味じゃ全然ないと、
なんとなくわかっていながら、あえて使います。


従来の用法を越えた広い意味での「共同幻想」だと思って下さい。


小室哲哉現象」っていうのは、小室哲哉がプロデュースした曲が
バカみたいに売れまくっていた現象のことを指します。


90年代ってのは、とにかくCDがバカ売れしていた。
ベストアルバム(=アーティスト)じゃなくて、
CDシングル(=曲そのもの)が平気で100万枚突破して
当たり前の時代だったのだ。


90年代ってのは、ちょうどカラオケBOXが普及し始めた時代でもあって、
流行っている曲をみんなで覚えてカラオケで歌う。
そんなことをみんながこぞってやっていたような気がする。


今は、着ウタのダウンロードとかもあるから一概には言えないのだが、
何しろCDが売れない時代になってしまったわけですよ。


CDTVを見てショックを受けた記憶がある。
なんでこんなに演歌がランキングの上位に入っているのか?と。


そもそも演歌なんか昔は100位以内にもほとんど
入ってこなかったというのに…


演歌が売れている枚数は90年代当時も今も変わっていない。
つまり、それだけJ−POPのCDが単純に売れなくなってしまったのだ。


これは一体どういうことなのか?


CDを購入するメイン層(高校生・大学生)たちの
感覚(=意識)に違いが生まれたのだと思う。


たぶん僕らは日本で最後の「共通体験欲求」のある世代だったのだと思う。


だから僕らはあんなにみんなで小室哲哉=TKがプロデュースする楽曲を
次々と買い漁り、100万枚を超えるミリオンヒットが頻発していたのだ。


そして、僕らの青春が終わった時、CDを購入するメイン層が入れ替わり、
「共通体験」を不要とする新世代はみんなと同じCDを買わなくなったのだ。


その結果、爆発的なヒットを記録するCDシングルという存在もいなくなった。


インターネットや携帯電話が幼少期には身の周りになかった僕ら「小室世代」。


人気のテレビ番組を見ていなかったら明日の学校での話題に参加できなかった。


勉強は全然出来ないけど、人気のファミコンゲームの攻略法を知っているやつが
不思議と尊敬されクラスのヒーローになれた。(僕らはファミコン第一世代でもある)


そう「共通体験欲求」とは「直接的に接する人と共通の話題を持ちたい」という欲求である。


僕らよりも下の世代になると、「共通体験欲求」は希薄になる。


自分が興味のあることにさえ関心を示していれば、共通の話題がなく、
直接的に接する人とのコミュニケーションに不具合があったとしても
インターネットや携帯電話を通じて「他人」との「ふれあい」は可能である。


ゲームだって、つまずいたときは、インターネットで検索をかければ、
親切なサイトが攻略法を丁寧に教えてくれる。


極論を言えば、共通体験がなくても、孤独という恐怖から逃れる手段を
僕らより若い世代は、幼少期から獲得していたということになる。


そりゃ〜テレビ見なくても平気だよね。
テレビの視聴率が年々低下しているのも無理はない。
共通体験志向ではなく趣向の細分化が今の若者のトレンドなのだから。
テレビよりネットの方がマッチしたメディアというのもうなづける。


だから若いやつはダメだなんて言うつもりは全くない。
感覚の違いがあるということを認識しようというだけである。


そして僕らの世代より上の人間は、共通体験欲求があるということだ。


小室つながりで言えば、
小室直樹氏の言う「アノミー」現象が教育制度ではなく、
テクノロジーの発達によってここに極まれり、というのが、
僕らより若い世代の人間の特徴である。