「天才」は「孤独」だという仮説〜野沢尚「呼人」を読んで〜


話を「呼人」に戻すと、上では触れなかった「呼人」の孤独感というのが印象的である。
概して、人からうらやましがられるような素質やら能力やらを先天的に持っている人間は、
この孤独感というものにおびえざるを得ないというのは、まさに盲点であり、真実であると思う。


わかりやすくいえば、天才とは孤独な人にならざるをえないということであり、
それがゆえに、逆説的だが、天才であればあるほど幸福を得るのは難しいのである。


野沢尚という人は、やはり天才領域に達した人だったのであろう。
「永遠の12歳」という設定からにじみでる疎外感、孤独感は、
まさに天才領域に達してしまった人間・野沢尚
疎外感、孤独感そのもののあらわれだったと思う。
おそらくは、その疎外感や孤独感がやがて絶望へと変化していったのである、きっと。
そうでなければ、野沢尚は自殺などする必要はなかったはずである。


「バカと天才は紙一重」などというが、バカにもなれる天才でなければ、
天才であるがゆえに迫り来る疎外感や孤独感を拭い去ることはできない。
バカになることができてはじめて、自分以外の人間との接点や共通点を見出すことが出来、
自分のことはもう誰にも理解されないのだ、という疎外感や孤独感から自由になれるのである。


バカになれない奴は、天才領域を目指してはいけないのである。