下流社会での成功とは? 〜メモ編〜


・「成功」という言葉を聞くと、すぐにいわゆる「社会的な成功」を想像してしまうが、
 それが「失敗」への第一歩。
 本当の意味での「成功」とは、自分が手に入れたい「モノ・生活(人間関係含む)・未来」を
 自分の欲求に照らし合わせてはっきりさせ、それを手に入れて人生を終えることである。


・つまり、「成功」とは一人一人が「自分で定義するもの」である。


・だから、「成功」のかたちは人間の数だけ存在し、
 その「成功のかたち」こそが、その人の「人生の答え」そのものである。
 人生に答えはない、というよりは人生には人間の数だけ答えがあり、
 人生の答えは探すものではなく、自分で決めるものである。


・もちろん「お金持ちになること」や「有名になること」「名誉を手に入れること」が
 なによりも大切だと考える人にとっては、社会的な成功こそが「成功」だということになる。
 そこを否定する気はさらさらない。どうぞご自由に。
 しかしながら、すべての人がそんな成功のかたちにとらわれる必要はない。


・以上のことを大前提としながらも、そうはいってもやはりという人のために
 「下流社会における成功とは?」という問いにいくつかの仮説を立て、検証していく予定。


・「消費」より「消化」重視!?


・「評価」より「共感」重視!?


など価値観・考え方のオルタナティブな視点について書きたい。


一方で実用的なサバイバル術も実体験をもとにして書きたい。


・なぜならば「サバイバル」という概念こそが、
 自分が定義した「成功」と社会的な「成功」を実生活レベルで結びつける「キーワード」になりうると考えるからである。


・メモの最後に「消費」について、ちょっと興味を持った一説を引用する。
  http://nv-club.nikkeibp.co.jp/members/COLUMN/20051128/106485/


(以下、辰巳渚の「ニュースのツボ」 消費の意味 より引用)


日本社会の階層格差が拡大し、収入も消費意欲も低い人々が増えている、と指摘した
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)』(三浦展)がベストセラーとなっている(読売新聞、11月16日)


(中略)

私は、このところ何年も「消費の意味」を考えつづけている。(中略)
そんななか、読んだ資料の本のなかで、目の覚めるような指摘に出会った。
本としては古典に入るものだが、内容はいままだ新しい『人間の条件 (ちくま学芸文庫)』(ハンナ・アレント)。
同書のなかで、消費を労働との対で検討していたのだった。
「最終的に人間の生命を拘束している生物学的サイクルに固有の『労苦と困難』として残るのは消費の努力だけであろう」
「人間のほとんどすべての『労働力』が消費に費やされる状態さえやってくるかもしれない」。
同書ではこのあと余暇の問題に入ってしまうのだが、この視点――消費とは生産との対の概念ではなく労働との対の概念なのだ、
という視点が、私を大きく答えに近づける気がした。


なんのために働くか。物やサービスを買うためだ。物やサービスは何のために必要なのか。
よりよい人生のため、豊かな人生のため、がいままでの答えだったが、いまはそこに万人共通の答えがない。
そこに自分なりの答えを見つけられない層が「下流」となり、「絶望」する。
労働の再生産のための物やサービス、と考えられない層が、「フリーターでその日暮らしでもいいや」と考え、
社会的な存在として自分を位置づけられない未熟な層が「自分らしければいいや」と
コンビニで食事を買いカジュアルな安い衣料で満足する。


消費とは労働と対になる精神の力であるからこそ、現状の「下流」層がいる、と言えばピンときていただけるだろうか。


働くことに「自己実現」などというごたくをくっつけなくても
「働きたい」「仕事するのって楽しい」と積極的に思える精神の力を持った人は、
消費にも「人並み」とか「ステイタス」とかのごたくがなくても
「買いたいな」「好きなものを買えるのって楽しい」と積極性をもてる。


くどくど考え始めると、働くことにも消費にもたいした意味はないことがわかるけれども、
やってみれば楽しいことでもあるわけで、
「やってみれば楽しい」というだけの価値で私たちは人生をなんとか生き切っていくしかない。
つまりは、私たちが問われているのは、なまじ考える力よりも、ともかく行動していく力であり、
必要がなくてもなにかをしたいと思える力なのだと私は思うのである。


ともかく動きたいと思える精神のエネルギー。
そもそもは人間が生まれながらに備えているそのエネルギーを、いかに保つか。
ここに今日的な教育の大きな役目があり、そして教育の現状が抱える大きな問題点もあるのかもしれない。


(引用ここまで)


現代社会において、農業・漁業・畜産など直接食糧となるものを生産する第一次産業に従事している人を除けば、
 当然のことながら我々が生きていく、つまりサバイバルしていくためには、
 お金を何らかのかたちでゲットして(労働?)、それとの対価として食糧を手に入れる(消費?)しかない。


「お金」「労働」「消費」とは、なんだろうか?追って考察していきたい。


本日はここまで。