生きるヒント〜村上龍名言集②小説『69 sixty nine』より〜


69(シクスティナイン) (集英社文庫)

69(シクスティナイン) (集英社文庫)


(以下、69(シクスティナイン) (集英社文庫)より引用)


119P
・話すことで僕は「スター」となった。一つ学んだ。


 暗く「反省」しても誰もついて来ない。(中略)


 だから「楽しんで」いる奴が勝ちなのだ。(中略)


 僕が泣きながら許しを乞えばいいと思ってる奴ら、
 そいつらの憎悪のこもった視線を感じながら、僕は喋り続けた。


 たとえ退学になっても、と心の中でそいつらに向かって呟いた。


 たとえ退学になっても、オレはお前らだけには負けないぞ、
 一生、オレの楽しい笑い声を聞かせてやる…………。
 


124P
・奴らがちらつかせるのは「安定」だ。


 つまり、「進学」や「就職」や「結婚」だ。


 奴らにはそれだけが幸福につながるという大前提がある。


 胸がムカムカする大前提だが、これは意外に手強い。


 まだ何者にもなっていない高校生にとって、手強いのだ。


P128
・女子のマスゲームを見ていると、気が滅入ってくる。


 何かを「強制」されている個人や集団を見ると、
 ただそれだけで「不快」になるのだ。


 
P151
・百十九日も欠席したのに、この教室に何の懐かしさも感じないのは、
 ここが選別の場所だからだ。(中略)


 成獣の一歩手前で、選別があり、分類される。(中略)


 高校生は「家畜」への第一歩なのだ。


P190
・「ボクはね、『自分が嫌になった』だけたい」


 僕とアダマは顔を見合わせた。


 自分が嫌になった、それは十七歳の少年にとって、


 女高生を口説く時以外には、決して口に出してはいけない台詞である。


 誰だってそのぐらいのことは思っているのだ。(中略)


 選別されて、家畜になるかならないかの瀬戸際にいるのだから、当然だ。


 言ってはならないことを言うと、それ以後の人生が確実に暗くなる。


 (中略)


 暗い人間は他人からエネルギーを吸いとって生きるから始末が悪い。


 冗談も通じない。


 

P209
アダマは、一九六〇年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、
その何かに忠実だったのである。


その何かを説明するのは難しい。


その何かは僕達を自由にする。


単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。


 
P238 文庫版あとがき

 
・「楽しんで」生きないのは、罪なことだ。(中略)


 高校時代にわたしを傷つけた教師たち、
 彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。


 彼らは人間を「家畜」へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。


 そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。


 だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という「権力」の手先は手強いものだ。


 彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。


 唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも「楽しく」生きることだと思う。


 「楽しく」生きるためには「エネルギー」がいる。


 「戦い」である。


 わたしはその戦いを今も続けている。


 退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは


 死ぬまで終わることがないだろう。


 (1987年4月20日 村上龍35歳の春)


(引用ここまで)


ちなみに、心に響いた方は、こちらもどうぞ。


2006-11-08 生きるヒント〜村上龍名言集①すべての男は消耗品である。〈Vol.2〉 (角川文庫)より


http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20061108/1162930822