「憲法改正はお金持ちになってから賛成しないと損だ」という仮説


いよいよ本題です。(最初から読みたい方は、http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20130723 へどうぞ)


憲法改正はお金持ちになってから賛成しないと損だ」という仮説。


なぜか?というと、ほとんどこちらの記事と一緒になってしまうのですが…


(2013-03-23 「ネトウヨネット右翼)は金持ちじゃないと損するだけ」という仮説


 http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20130323 )


憲法が改正され、国防軍が創設されたとして、将来的に政府から、


「これ以上は我慢出来ない。みなさん共に韓国と中国を倒しましょう!」


と呼びかけられた時、いざ戦争に行くことになり、早死にするのは誰なのか?


これをそろそろ真剣に考えて、自問自答すべき時が来ていると思う。


戦争に行くことになるのは誰か? その答えは「貧乏人」と「国防軍(今の自衛隊)」である。


戦争が始まったら、徴兵制が敷かれる可能性は十分あるでしょう。


この流れになった時、憲法改正に賛成した人も、


やっぱり「戦争とかだるいな〜」「痛そう」「まだ死にたくない」と思うかもしれません。


その時、「戦場に行かない」という選択肢を持つためには何が必要かわかりますか?


そう「お金」です。


古今東西、戦争が始まった時、「金持ち」は戦争に行きません。


「国」にたくさん税金を納めてくれる人たちがいなくなると国家が困るからです。


よって、戦場に行かされるのは常に「貧乏人」です。


だから『憲法改正はお金持ちになってから賛成しないと損』なのです。


それでも「憲法改正」に賛成したい方は、悪いことは言わないので、


まずは、それなりの「お金持ち」に先になって下さい。


「お金持ち」になってからそれでも「憲法改正」に賛成したいならば、私も止めません。


「空気」で全てが決まってしまう国「日本」。


この国が、この先、戦争に突入しないためには、


憲法改正に賛成しようと思う」方々が、上記のことを認識して、


やがて戦争に行かされる可能性が自分の生活、


さらには将来的には自分の子供にまで迫りくる事として、


「戦争とかだるいな〜」「痛そう」「まだ死にたくない」、


あるいは「うちの子だけは戦争にいかせたくない」と感じる・思うこと


つまり「自己中=消費者主権」を発揮する以外に避けられないと思うからです。


参照)「消費者主権」が平和を守る 鶴見俊輔


http://www.jca.apc.org/beheiren/saikin26tusurumi-shouhishashuken.htm より引用開始)


 いまの社会を語るとき、「消費者主権」の概念を指摘できます。


 以前、プロ野球(当時)のイチローがキャンプ地の宮古島で、


 「ホテルの近くにコンビニがあれば十分な環境です」と言ったことがあるでしょ。


 高級レストランで毎日うまい飯を食いたいと言わず、


 24時間好きなときに食べたいものを選べるコンビニエンスストアを恋しがる。


 消費者主権のありようが巧みに表現されていた。


 いわゆる「ジコチュー」(自己中心)なのです。


 かつての高度成長から時間がたち、消費者個人の価値観が社会に大きな影響を与えている。


 そんな時代になったということです。


 (中略)


 30年前の「べ平連」の運動には、「殺すな」を合言葉に100万人が街頭に出た。


 いまは大義から平和を訴える言葉は聞こえません。


 それでも、いまの社会に希望をもてるのは、国民に消費者主権の考え方が浸透しているからなのです。


 消費者主権の立場から戦争と向き合ったらどういう答えが出るだろう。


 「自分は殺されたくない」。そのひとことにつきるのではないかな。


 反戦、平和を語るとき大切なのは大義ではなくまず、自分はどうするかを考えることだ。


 限りなく「ジコチュー」でありなさい、と言いたい。


(『朝日新聞』 京都版 2001年6月30日号より 引用ここまで)


 自己中(ジコチュー)に考えたとき、ちょっとでも「自分は殺されたくない」


 あるいは、「うちの子だけは戦争にいかせたくない」と考える


 可能性がある方が「憲法改正に賛成」したいならば、「お金持ち」になるのが先決です。


 雰囲気で、「貧乏」なまま「憲法改正」に賛成してしまったら、


 いつの間にか取り返しのつかないことになるかもしれません。


 そうなってからでは遅いのでは?と一度自問自答してみて下さい。


 今日はここまで。