頭がいいと思ってる奴の正義・世界観に対するアンチテーゼ


前回の日記でテーマを整理した。
備忘録的にカテゴライズしながら列挙したのだが、
「自分という現象の連続」の表現ともいうべきそれらのテーマを縦に串刺しにして
貫いている理念というかポリシーが欠けているな、とふと思った。


もっとわかりやすく具体的に言えば、【注目人物】としてあげている、
ビートたけし北野武)」「松本人志」「浅草キッド」「爆笑問題
副島隆彦」「佐々木敏」「小室直樹」「吉本隆明」「鶴見俊輔
マイケル・ムーア」さらには「村上龍」「糸井重里
ミスチルmr.children)の桜井和寿」元「黒夢」の「清春
元「ブランキー・ジェット・シティ」の「ベンジー
Dragon Ashドラゴンアッシュ)」の「降谷建志」などの、
これらの人々を、何故私が注目しているのか?
これらの人々に共感しているのは私のどのような考え方、ポリシーなのか?
ということに対する答えが欠けているな、と思いそれを書こうと思ったのである。


それこそが、「頭がいいと思ってる奴の正義・世界観に対するアンチテーゼ」である。


「頭がいいと思ってる奴の正義・世界観」とは、あえて置き換えれば
「法律」や「常識」といわれるもので我々の日々の生活の目の前に登場し、
時には「きれいごと」時には「不条理」という形で我々をいらだたせるものである。


「アンチテーゼ」とは、そんな「頭がいいと思ってる奴の正義・世界観」に対する反骨精神である。
以前、私は昔革命児になりたかった、と書いた。
当時の私は今以上に無知で何もわかっていなかったため、
現状に不満を抱いた時に、その状態を克服するためには、
革命児になって世の中をひっくり返すしかないのではないかと思っていたのである。
おお、なんてかわいそうな子だ。我ながらびっくりな短絡さである。


しかしながら、非行に走る少年や俗に言うグレるという行為は、
多かれ少なかれ、今私が書いたようなことを原動力にした行為なのではないだろうか?


まあそれはさておき、結果からいうと私は結局グレることなく現在に至っている。
なんとなく自分が考えていることの中には矛盾なりおかしなことが
多分に含まれていると気付いたからだろう。
最初は世の中をひっくり返すことが疑いもなく私の中で正義だったはずだ。
しかしながら、世の中の大半の人はそんなことは望んでいないということに気付いたのだ。
(↑当たり前だろ、オイ)


しかしながら、
この「世の中の大半の人はそんなことは望んでいないという当たり前の事実」にまで
目がとどかないというのが、アンチテーゼ・反骨精神、さらには(急進派)リベラル思想の
限界なのではないか、と今では思うのである。


そこで、私は大学入学を機に、時間をかけながらパラダイムシフトをしたのだと思う。
それ以前の私は、簡単に言えばただのひねくれものだったといえるのかもしれないが、
とにかく極端に、王道(多数派)を嫌い、アンチ(少数派)を支持する傾向が強かったが、
それを軌道修正した。またそれに伴い、思想的には自然と、義務教育を中心として
学校教育で善として当たり前のように教えられる、日本左翼的なリベラル理想主義的思想から、
現実的かつ保守中道的な思想へと変遷をたどっていったと思われる。


他の人にとってはたいしたことではないに決まっているのだが、
私は大学に入ってテニスサークルに入る決意を固めたときから、
自分の意思で「アンチから王道へ」というパラダイムシフトを始めたのである。
以前の私にとって、いわゆる「日本の」大学生の王道ともいうべき、
「大変だった受験戦争を乗り越えたあとは、もう勉強なんかしないで
 テニスサークルにでも入って4年間遊びまくればいいんだ」というような
日本のダメ大学生がとる象徴的な行為「テニサーへの参加」という行為を通して
パラダイムシフトを始めたのである。


そもそも「王道」を受け入れようと思ったのは、少数派がどんなに批判的なものであっても
それが多数派であるという事実は、まがりなりにもその多数派に魅力なり
良い部分があるのではないか?という当たり前のことにようやく気付いたからである。


自分が少数派に味方しようとする限り、多数派の批判を展開するわけだから、
多数派の魅力や良い部分をどうしても見て見ないふりをして捨象する傾向は否めない。
だが、それはおかしいのではないかと思うようになったのである。


だからこそ、まずは自分で王道を経験する。その上で、良い部分と悪い部分を判別する。
そして、王道の土台をいかしつつ、悪い部分をどうしていくのかというのが次の分かれ道である。


クソみたいな「王道」や「法律」や「常識」は腐るほどある。
だが、それを自分で経験し感じたことを元にすることによって、
初めて「アンチテーゼ・反骨精神」が力を発揮し、良い変化をもたらすのではないか?
と感じるようになった。
その方法論への移行を私は「アンチからオルタナティブへ」と呼ぶことにしたのだ。


「王道」を受け入れ、自分の経験や感じたことを重視するようになり、大学を卒業し、
社会人として働いている現在ではあるが、私のルーツは、それでもなお、
「頭がいいと思ってる奴の世界観に対するアンチテーゼ」なのである。


私が注目し、共感している人物は、「頭がいいと思っている奴の正義・世界観」、
さらにはクソみたいな「王道」や「法律」や「常識」に良い変化をもたらす、
オルタナティブな可能性を秘めていると私が感じている人という意味での
共通点がある。


また、私がこれから書こうとするテーマの根底に流れているものは、きっと
この「頭がいいと思ってる奴の世界観に対するアンチテーゼ」なのである。


あ、そういえば、大学の時にもうひとつパラダイム転換というか発見があった。
「人生は楽しんだ奴の勝ち」。だからある意味ではもっとちゃんといえば、
「自分で頭がいいと思ってる奴が、正しいと思って世の中をつまらなくしよう
とすることに対する反骨精神」というのが今ではより強く私の中を流れているのかもしれない。