仮説①「風立ちぬ」のユーミンの主題歌「ひこうき雲」は後付けだった、という仮説


まあ、映画を見る前の「風立ちぬ」と言えば、


ユーミンの「ひこうき雲」のイメージですよ、絶対。(←伊坂幸太郎の…以下略)



あのユーミンの曲を映画宣伝=予告のVTRとともに、ヘビーローテーションで聞かせて、


なんとなく「爽やかな、いい映画っぽいな〜。ジブリだし、宮崎駿だし、


間違いないでしょ!」と思わされて、映画館に行った人は日本中にたくさんいると思う。


で、そんな人たちが、きっと、声をそろえて、「期待はずれだった。想像と違った。」


とこの映画を酷評しているという現象が起きているのではないだろうか?


そして、私の勘違いでなければ、ユーミンの「ひこうき雲」は映画の本編中で


1シーンも流れていないのではないのだろうか? そして、もし、それが真実だとしたら


主題歌なのに、なぜ本編が全て終わったエンディングにしか使われていないのだろうか?


その答え(あくまで一個人の勝手な仮説だが、)こそ、


映画「風立ちぬ」における主題歌ユーミンの「ひこうき雲」は、


映画が完成したあと、映画作りとは別に後付けで生み出された主題歌なのではないか?


という仮説である。(以下は、単なる推測である。信じる信じないはあなた次第。)


それは、映画「風立ちぬ」が完成した(あるいは完成直前の)内輪向けの試写会でのこと。


お金を出資していたスポンサーたちは、映画を見て驚いた。


「これは…あまりにも地味だ。しかも、あまりにも今までのジブリ作品と違う。」


「これを、そのまま宣伝しても、今までのジブリ好きのお客さんたちが見に来てくれるとは


 とても思えない。どうしよう…。せっかく5年ぶりの宮崎駿監督の最新作なのに…。


 このままでは、興行収入が伸びず、下手したら次回作が作れなくなってしまうかもしれない。


 
 これまでの宮崎駿作品の公開時のようにお客を呼ぶには、一体どうすればいいんだ?」


こうして、映画「風立ちぬ」をこれまでのジブリファンに今まで通り見に来てもらうには、


どうすればいいのか?その対策会議が日夜開かれたのではないだろうか?


その結果、出した苦肉の策の答えが、“主題歌に「ユーミン」起用”である。


ユーミン」といえば、1989年公開の魔女の宅急便で主題歌になった


やさしさに包まれたなら」という曲も存在しており、


やさしさに包まれたなら

やさしさに包まれたなら

 
魔女の宅急便 サントラ音楽集

魔女の宅急便 サントラ音楽集


“「風立ちぬ」がこれまで通りのジブリ映画である”という幻想を


抱かせるには最適な存在だったはずだ。


しかも、今回のテーマである「ひこうき」と似たようなタイトルの「ひこうき雲」という


楽曲がすでに40年前から存在しているのだ。


さっそく、ユーミンサイドに、主題歌としての使用をお願いすると、快くOKしてくれた。


そして、ここから、スポンサー陣の意向を受けて、ジブリのプロデューサーは、


監督である宮崎駿に相談しにいったのではないか?


P「主題歌にユーミンの“ひこうき雲”を使いたい。


  宣伝は、その曲を全面に押し出すつもりだ。


  だから、ひこうき雲を本編のどこかいい場所、


  クライマックスに近いシーンで使ってくれないか?」


宮崎「宣伝に使うのは構わない。でも「風立ちぬ」と「ひこうき雲」は


   私の中ではイメージが合わない。だから本編で使うわけにはいかない。」


P「わかった。仕方ない。宣伝で使うのは構わないんだよね?」


宮崎「ああ。宣伝は私の管轄外だ。好きにすればいい。


   ただし、本編で使うのは絶対にダメだ。そこは譲れない。」


そう映画「風立ちぬ」は宮崎駿のエゴイズムを(もちろんいい意味で)結集させた作品。


いくら「ユーミン」の名曲であっても、後付けで作品に組み込めるようなものではなかったのだ。


こうして、映画「風立ちぬ」は“「ユーミン」の「ひこうき雲」のような


いままで通りの期待を裏切らないジブリ作品なんだろうな〜”という


幻想のイメージが世の中に大きく広まることになった。


その結果、宣伝を見て「みたい!」と思って映画館にやってきた人の中には


「イメージと違った」「なんか期待外れ」とこの映画を酷評する人たちが


数多く発生することになったのではないだろうか?


何がいいたいか? 


この映画はミスリード(変な先入観)なしに、ちゃんと見れば絶対に「良作」である。


だから、これから見に行く人は、「ユーミン」の「ひこうき雲」と映画「風立ちぬ」を


一度、切り離してから、フラットに見た方がこの映画を楽しめるのではないだろうか?


そして、次の仮説では、この映画「風立ちぬ」のどこが「良作」なのか?


宮崎駿が込めた思い、伝えたかったことをこれまた勝手に推測してお届けしたいと思う。


今日はここまで。


追記


調べてみたら、どうやら上記の80%ぐらい当たっていたみたい。


風立ちぬ」の主題歌がユーミンの「ひこうき雲」になった理由。


http://www.youtube.com/watch?v=2kJ8Yhvxt08



(2013年8月20日現在、まだ再生回数は144回。誰も知らないに等しいですよね。)


(動画見れなくなってから自分で確認したい人は、鈴木敏夫Pとユーミンの対談が


 「ロックキング・オン」から発売中の雑誌「H」113号に掲載されているらしいですよ。)


結論。鈴木敏夫プロデューサー本人が語っていた。


ユーミン」の「風立ちぬ」はやはり、紛れもなく鈴木プロデューサーによる「後付け」だった。


“「風立ちぬ」のユーミンの主題歌「ひこうき雲」は後付けだった”、という仮説は、


仮説ではなく、事実だった。ウソから出たマコト。やっぱり…って感じでもあるけど。


そして宮崎駿は予告編を一切見ていない。どうなっているか知らない。


もともと、宮崎駿は、「この映画に歌はいらない。主題歌は不要だ。」と言っていたそうだ。


僕の仮説が間違っていた部分としては、鈴木敏夫プロデューサーによれば、


宮崎駿におそるおそるユーミンの「ひこうき雲」をしれっと聞かせた時に、


宮崎駿本人も「なんだ、これ。俺の映画の最後じゃん。」と言ったらしい。


もともと主題歌はいらないと言っていた宮崎駿も、一応「ユーミン」の「ひこうき雲」は


風立ちぬ」のエンディングにふさわしい、「いい曲」だと、認めているという部分だろう。


結果的に「風立ちぬ」は興業的にそこそこヒットするだろうから、


やはり鈴木敏夫氏の目の付け所は間違っていなかったと思う。まさに敏腕P。


でも、ますます思った。これから映画「風立ちぬ」を見に行く人は、


ユーミンの「ひこうき雲」と一度切り離してから観に行った方がいいですよ、絶対。(←伊坂幸太郎の…以下略)