「売れないバンド」をどうとらえるか?という問題


・「趣味」というのは、「やりたいことをやっている。自己満足可。」という世界のことだろう。
 人間というのは「やりたいこと」をやっている時に一番輝くものだろう。
 だから「趣味」をもつことは「やりたいことのできる」いいことなのだと思う。


・ただし、現代人は、成人して大人になったら、何らかの手段でお金を稼がなければならない。
 ここで2つの考え方が生まれてくる。
 A.欲をいえば、やりたいことをやって飯を食って生きたい。
 B.お金を稼ぐのは手段として割り切って、やりたいことは趣味的に続けていこう。


村上龍はA的な存在を奨励し、B的な存在を攻撃しているのであろう。
 

・A的な生き方をするためには、才能のようなものプラス運が必要となる。
 だからB的な生き方をする人が大多数なのであろう。


・でも、A的な生き方で一度勝負してみようぜ!
 その方が大変だけど、得られる充実感も段違いだとあえて村上龍は言っているのだと思う。
 そういう意味では趣味を否定していると言えなくもない。


・たしかに成功者ならではの立場からの発言である。
 でもA的な生き方をするためには、まずは「趣味」を持つところから始めなければならない。
 

・音楽という趣味が高じて始めたロックバンドを例にしてみようと思ったわけで…
 「売れないバンドマン」は、「本当に自分のやりたい音楽」を守っているという体裁をとることがある。
 「メジャーデビューして売れてるようなバンドは、世間に媚びてる、商業主義(コマーシャリズム)に魂を
  売ってしまったやつらだ、そんなのロックじゃねえよ」的な立ち位置である。


・そのまま「本当に自分のやりたい音楽」を守っている限りは、趣味的な音楽である。
 でもメジャーデビューして「自分の作る音楽」が市場にさらされて、もし支持されたならば、
 その人はプロのミュージシャンになって飯を食っていけるのだ。


・だから、おっさんじゃない若い人がこの本を読む場合は
 『若者よ「趣味」を「市場」に出して勝負するところまでやってみな!
  その方が絶対おもしろいから!』
 という読み方をした方が建設的だと個人的には思う。


・結果的にB的な生き方をしている人たちの趣味に対して、
 残念ながら、村上龍はこの本でケチをつけてはいるのだろう。


・でも趣味を楽しんでいる人たちは気にしなくて大丈夫です。
 村上龍にだって趣味を楽しんでいた時期はあったわけで、
 彼には、それを仕事に出来る特別な才能と環境に恵まれていただけなのですから。


・この本を読んで、一番やってはいけないのは、
 タイトルを間に受けて「無趣味がいいんだ」って何に対しても興味を示さなくなること。


・可能だったら「趣味を趣味で終わらせるな!」
 趣味みたいに自分の興味が持てる対象・ジャンルがせっかくあるなら、
 それに自分の能力を総動員することで市場に出してお金を稼げるかどうか
 挑戦してみたほうが、「心を震わせ、精神をエクスパンドするような、
 失望や歓喜や興奮を手にすること」=快楽を獲得できるチャンスがあると
 言っているだけなのだと思う。


・論理的に破綻していそうな文章だが、取り急ぎアップしておくことにする。