「無趣味のすすめ」村上龍は趣味を否定していないという仮説

無趣味のすすめ

無趣味のすすめ


前回のエントリーの続き
http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20090517


村上龍が「無趣味のすすめ」という本を出版して9万部以上売れているらしい、
 という話を耳にして不愉快な思いをしている「趣味人」がいるんじゃないかと
 勝手に想像したわけです。


・でも、個人的には「趣味人」=趣味を楽しんでいる人が、
 この「無趣味のすすめ」を呼んで不愉快な気分になる必要はないと思う。


・なぜなら、この本の真のタイトルは「単なる趣味で終わらせないすすめ」であって
 趣味に手を出すことそのものを否定する趣旨ではないと解釈可能だと思うからだ。


・今ではおっさんになって無趣味のすすめという本を出版してしまう村上龍だが、
 同時に、若い頃にあんなにいろいろな趣味的なものに手を出しまくった人は
 他にいないと思うからである。


村上龍は「快楽主義者」として、「F−1」や「ル・マン」をおっかけ、
 「テニス」もやったし、「ゴルフ」もかじったし、「SM」にも手を出した。


・それは「流行していたからやってみただけだ」っていうのと、
 趣味という領域ではなくそれらの世界のプロたちの仕事に接していたから、
 趣味的ではないという考え方もあるが、やはりこれらに手を広げていた村上龍
 ある種「一流の趣味人」であったといえるだろう。


・しかし、村上龍が他の趣味人と一線を画しているのは、
 彼が「小説」による「表現」という「仕事」の舞台を持ち、
 その趣味を通して得た経験を「金銭」に換えられる「仕事」にしていた、という点である。


村上龍が本当に言いたいのは、単に「趣味」を「趣味」のまま終わらせるのはもったいない、
 ということなのではないだろうか?


・それを家庭や趣味の時間を犠牲にして今の立場を築いてきた、
 団塊の世代に代表されるジャパニーズ・サラリーマンたちに受けのいい表現に
 幻冬舎的に変換すると「無趣味のすすめ」というタイトルになってしまった、
 というだけのことのような気がする。(おかげで本は売れているのだろうが…)


・結局、村上龍のメッセージは「いかにサバイバルするか?」=「生命力」という
 究極命題に行き着くと個人的には感じている。