「植草一秀」氏に関する一考察


U草K秀という人物がこの日本には実在する。


テレビなどでも活躍する著名な経済評論家だったが、
ある日突然、某駅のエスカレーターで手鏡を使って
女子高生のスカートの中を覗き見ようとして逮捕された。


その結果、彼は冤罪を主張しながらも、
マスコミからのバッシングなど社会的な弾圧を受け、
地位も名誉も職も含めたあらゆるものを失った。


どういうタイミングで彼が逮捕されたのかというと、
当時の人気者、小泉純一郎総理大臣と
竹中平蔵経済財政政策担当大臣(兼金融担当大臣)の
「聖域なき構造改革」を真っ向から批判し、それはすなわち
アメリカが日本に押し付けようとしていた経済改革にも
はむかうことを意味していたのだ。


(わかりやすくいえば、競争の原理をもっと日本に導入し、
 古きよき日本の伝統「総中流化社会」を破壊し、
 プチアメリカのような「格差社会」を日本に生み出すと同時に、
 規制緩和という名のもとに外資金融ハゲタカファンドによる、
 日本企業の乗っ取り作戦を行うべく、
 当時のアメリカは、国民の目のみえないところで
 小泉・竹中に外圧をかけていたであろうことが推測される)


日本の政治の動向は、日本国内の派閥の動向などではなく、
外圧(第二次大戦後は基本的にはアメリカの外圧)によって
もっとも左右されているというのがおそらく真実なのだろう。


いずれにせよ、そんなタイミングで、U草K秀は冤罪を主張しながらも、
マスコミに弾圧され、あらゆるものを失ったのだ。


これが何を意味しているのかは、
このゴールデンスランバーを読んだ人ならば、
おのずと推測されるのではないだろうか?


今まで、このニュースを聞いて、
「この経済評論家とんでもない変態だなあ。
 でも今まで活躍していたのにかわいそうになあ。
 ざまあみろ」と思っていたならば、
それは、ゴールデンスランバーの「第二部 事件の視聴者」と
全く同じ側面からしかその事件を見ていないのと
同じことである可能性がないだろうか。


われわれはU草K秀という人物本人の目線からみた
「第四部 事件」も考慮してこの事件を眺めなければ
いけなかったのではないだろうか?


もちろん私も彼が100%冤罪だと信じているわけではない。
ただ、彼が100%とんでもない変態だと考えるのは、
フェアな見方ではないなと思っているだけである。
真相は闇の中だ。いまだに半信半疑にU草K秀の事件を眺めているだけである。


もちろん、この意見は私個人のものであり、
ゴールデンスランバーの著者伊坂幸太郎さんとは一切関係ない。


むしろ、伊坂さん本人にU草K秀の事件について尋ねたら、
残念そうな顔をして、
『せっかく本の末尾に、「読んだ方が真に受けないといいな。」
 と書いたのに残念です。僕は別に彼が冤罪だとは思わないですよ。
 小説の中なら話は別ですけどね。』というだろうと思う。


僕もその方が嬉しい。
伊坂幸太郎のような才能のある人には、
つまらない妨害をされずに、ただひたすら面白い作品を
作り続けてほしいと願うファンの一人だからである。


最後にこの本から(僕が勝手に)読み取れるものを
もう一点だけ指摘して終わりにしたいと思います。