「フィクションを超えるジャーナリズムは存在しない」という仮説


あえて、私は今一度主張したい。
『フィクションを超えるジャーナリズムは存在しないのではないか』と。


この作品『ゴールデンスランバー』もまた、
フィクションという鎧をまとわなければ、
世の中に訴えることのできない『真実』の断片を照らしだす
貴重な作品の一つだと個人的には感じました。


それなのに単純なエンターテイメント作品としても
充分楽しめてしまうところにこの作品の本当のすごさがあると思います。


ジョン・F・ケネディの暗殺事件をモチーフに描かれているこの作品。


怖いのは、この作品の主人公、元宅配ドライバーの青柳雅春のような一般市民が、
ちょとした理由(過去にちょっとメディアでちやほやされたことがある)で、
『偉そうで、権力を持った』見えない大きな力の標的になりうる上に、
身に覚えのない出来事がメディアなどで実際に放送されるだけで、
簡単に犯人にでっちあげられて人生を棒にふらされてしまうという部分である。


伊坂さん的には、こんなことは実際にはあり得ないんで、
本気にしないでくださいね、という感じだと思うのだが、
万が一、こんなターゲットに自分がされたとしたら、
その状況から主人公のようになんとかうまくエンディングまで
持ち込めるだろうか?


主人公の青柳は、なんだかんだいって、
過去に交流のあった様々な人たちのさりげない協力によって
急死に一生を得るのだ。


やっぱり友達を大事にして生きていくのが
ベタに大事なんだろうと思った。


言いたいことをわかりやすくするために具体例をあげてみようと思う。