“肥満と欺瞞の国”アメリカ


くしくも同じ年に「スーパーサイズ・ミー [DVD]」という
肥満問題を取り扱った映画が製作され話題となったが、
街を歩いていて感じたのは、何でこいつらこんなにデブなんだ!?(失礼)
ということである。


これはアメリカに行ったことがある人には
共感してもらえると思う。もちろん全員とは言わないが、
アメリカ人のデブはホントにハンパないデブなのだ。
日本人のデブがラージならアメリカ人のデブはまさにスーパーサイズである。


もう一方の欺瞞とは、辞書で引くと、
[名](スル)あざむくこと。だますこと。「―に満ちた言動」「国民を―する」 (大辞泉より)
という意味だが、これは、911以降のアメリカをまさに覆っている影そのものである。


本当は欺瞞そのものは911に始まったことではなく、
911をきっかけに欺瞞がアメリカ社会において正当化されてしまったという
言い方の方が正確かもしれない。


アメリカは多様性を受け入れて成長していった国であったが、
またその多様性ゆえに常に分裂の危険性をはらんできた。


だからこそ、アメリカの学校では国歌を歌わせて、
小さい時から、お前はアメリカ人なんだぞと後天的に自覚させていく。
逆に言えば、そうでもしなければアメリカという国は
すぐにでも空中分解してしまう可能性がいくらでもあるのだ。


自由の国アメリカという対外的に魅力的な体裁と
国民教育などによる国を一つにまとめる強制力とのバランスを
なんだかんだいいながらも上手く運営してきたのが
20世紀後半のパックス・アメリカーナという
アメリカ繁栄の時代だったのであろう。


そこには、もうすでに水面下では欺瞞があった。
しかしそれは巧妙に隠されており、
国内においても、対外国に対しても
アメリカは世界に誇れる魅力的な国として映り続けていたのである。


しかし911がそれを吹き飛ばした。
もうなりふり構ってはいられなくなったのである。
アメリカから自由という体裁が消え去った。
テロという見えない敵と立ち向かうためという大儀名分を掲げ、
証拠がないにもかかわらず、
イスラム世界が大量破壊兵器を所持しているという理由をでっちあげ
国民を欺き、さらには世界をも欺いて戦争に突き進んでしまった。


アメリカという国が欺瞞に満ち溢れ、
自由を制限されたアメリカ国民たちも欺瞞を受け入れざるを得ない。


21世紀初頭に私が目にしたアメリカ。
それは“肥満と欺瞞の国”だった。


そのようなアメリカの状況を踏まえ、
日本はどんな道を進んで行けばいいのだろうか?


続きはまた今度。


蛇足ながら、私が今回観た「ワールド・トレード・センター スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]」という映画もまた、
アメリカ国内において911に始まった欺瞞の正当化を
改めてアメリカ国民に確認させるプロパガンダ色の強い映画に過ぎないというのが
妥当な評価だと思える。


こんな映画を観て日本人が感動するわけないと思うのは私だけだろうか?