村上龍最新作「シールド(盾)」を読んで


まず、盾(シールド)とは何か?村上龍本人の「おわりに」から引用すると


シールド(盾)「おわりに」より引用開始)


わたしは一つの仮説を立ててみました。
わたしたちの心とか精神とか呼ばれるもののコア・中心部分はとてもやわらかくて傷つきやすく、
わたしたちはいろいろなやり方でそれを守っているのではないか、というものです。
そして守るためのいろいろな手段を「盾・SHIELD」という言葉で象徴させることにしました。
さらに「盾」には、個人的なものと集団的なものがあるのではないかと考えて、
それをわかりやすく伝えるためにこの絵本をつくりました。
自分はどんな盾を持っているのか、 あるいは持とうとしているのか、
読者のみなさんが考えるヒントをこの絵本で得ることができればと思います。


(引用終わり)


私的に表現すれば、「盾(シールド)」とは「自分(の心)を守るための力」のことだと思います。
個人的には、常日頃から自分が人一倍意識しているテーマでもあります。


わかりやすい「盾(シールド)」のひとつが「自信」というものです。


「自信」というのは根本的・内的・個人的な「自分(の心)を守るための力」であり、
文字通り自分で自分のことを信じてあげられるかどうかという力のことです。
正常な人にはなかなかわからない感覚なのかもしれませんが、一度自分を見失ったりすると、
自分で自分のことが信じられなくなり、とんでもない悪循環に陥ることがあります。
私も昔そういう悪循環に陥ったことがあるのでわかるのですが・・・


自信がない状態になると、自分で自分のことがどんどん嫌いになっていきます。
こんなやつ生きててもしょうがないと自分で自分を責め続けます。
すると周りからも人が離れていきます。元気がない人間は他人の元気も奪ってしまうのです。
誰もそんな人と一緒にいたいとは思いません。
そしてどんどんものごとが上手くいかなくなり孤立して絶望にたどり着くのです。


僕が出した結論は、自分はたしかにどうしようもない人間かもしれないけど、
せめて自分だけは最後まで自分の味方をして、自分を信じてあげようというものでした。そう決めたのです。
自分で自分を信用していない人間をどの他人が信用してくれるというのでしょうか?
せめて自分は自分のことを信じる。全てはそこから始まると私はそのとき思ったのです。
もちろん過信は禁物なのですが・・・


一方、この本でも「盾(シールド)」のひとつに見えるようなものとして「会社」というものが出てきます。
「会社」というのは、特に旧来の日本社会の文脈でいえばザ・シールドのような捉え方をされていたものだと思います。
しいていえば一時的・外的・集団的な「自分を守るための力」といえるかもしれません。


私は、以前に「お金」と「有名」に関するテーマのところで書いたように、
この力に関しては、警戒心を怠らないように心がけています。
なぜなら、「会社」というものに「盾としての力」が実際にあったとしても、
それは、最終的には自分自身の力ではなくあくまで外的なものであり、
一時的なものになる可能性を常に秘めているからです。
また、そういった外的な力に頼ろうとすると、内的な力が弱まるのではないか?
という仮説が自分の中にあるというのも理由のひとつです。


ただし、「会社」というものに属しているうちに、ほかの会社や他の方法でも
お金を稼げる手段・能力(これこそ実生活レベルでの個人的な「盾(シールド)」)を個人的に養っていかないと
結局のところ「会社」という不安定なシールドに依存しているという結果になってしまうのでしょう。


今回の自分のケースに当てはめてみると、「自信」というものは一度粉々に砕かれましたが、
気持ちを建て直し、あくまで自分は自分を信じると自分で決めれば、
仕事を一つずつこなしていくことにより「自信」は回復できるはずです。


次に「会社」ですが、またちょっとここで本文中より引用したいと思います。


シールド(盾)72ページより引用開始)


(会社の中で大事なことは、)ほかの社員との、じょうずなつきあいです。
とくに大事なのは、部長や課長、それに主任といった上司とのつきあいでした。
上司にきらわれてしまうと、どんなに努力してもほめられることはありませんし、地位もあがらないのです。
どれだけがんばって、どれだけいい仕事ができたか、それを決めるのは上司だからです。


(引用ここまで)


ごくごくあたりまえのことですが、その上司をこちらから敵に回したわけですから上手くいくはずがありません。
一方でそんなのは、日本的な会社文化特有のもので、成果主義へと移行している今となっては時代遅れだ、
なんて思っていた自分がいたことも認めざるを得ません。
では、俺は成果を出せているのか?という質問をぶつけると答えはまだ残念ながらNOです。
時期が早すぎたのかもしれません。


いずれにしても、少なくとも自分で成果が確実に出せるようになるまでは、
今回のようなプレイスタイルは封印するしかないという結論に達しました。
ものごとには順序があるということでしょう。
逆に成果が出せるような自分になれたときというのは、
同時に「ほかの会社や他の方法でもお金を稼げる手段・能力(これこそ実生活レベルでの個人的な「盾(シールド)」)」
というのも養うことが出来た状態でもあるような気がします。


結論としては、いますぐ仕事をやめても仕方がない。
きちんと「成果が出せる」というシールドを手に入れるまでは、
多少のことは我慢すべき時期なのだと考え直して再スタートを切ってみようと思います。


偶然だが、くしくも、ホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長が、保釈後の心境や経営手法について、
自筆の文書で報道各社に回答を寄せ「人生を振り返る良い機会になった」と語り、
今後の展望について軽く語ったのと同じ日にこれを記す。


(以下ヤフーニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000026-san-soci&kz=sociより引用)


堀江被告 自筆で保釈後の心境 「情報化社会 頭がついていかない感じ」


 ライブドア証券取引法違反事件で、前社長の堀江貴文被告(33)、証券取引法違反の罪で起訴=が
二十四日、保釈後の心境や経営手法について、自筆の文書で報道各社に回答を寄せた。
起訴事実をあらためて否認した上で、拘置所での生活について「人生を振り返る良い機会になった」などと振り返った。
後に報道各社から出された質問書に、弁護士を通じて回答した。詳細は次の通り。


 −−保釈を迎えた率直な感想は。拘置所生活はどんなものだったか。
 拘置所に入っている間は月日がゆっくりと過ぎていき、自分自身のこれまでの人生を振り返る良い機会になりました。
 情報から長期間遮断されていたのが急に情報化社会に放り込まれたことから、頭がついていかない感じでとまどっています。


 −−ライブドアの大株主として、今後の事業にどうかかわっていくのか。事業家としての新たなプランは。
 ライブドアの経営にかかわるつもりはありません。
 拘置所内で新しい事業プランなどを考えましたが、当面は訴訟の準備に没頭する予定です。


 −−堀江被告の経営手法は「時価総額経営」と言われている。事件を受け、考えは変化したか。
 「時価総額経営」をしていたつもりはありません。
 株式会社である以上は営業利益の拡大を目指すべきと考えており、変わるものではありません。
 諸行無常というのが私の人生観で、今の瞬間を精いっぱい生きようと努めてきたが、
 生き急いできたかなとも思うようになりました。
 心境の変化が、経営に関する考え方に影響を与えるかもしれないと感じています。


 −宮内亮治被告らは起訴事実を認め、堀江被告の指示、了承があったと供述しているとされるが、ご自身の認識は。
 起訴事実は認めておりませんし、違法行為を指示、了承したつもりもありません。


 −−いま一番やりたいことは。会いたい人や食べたいものは。
 「沈まぬ太陽」(山崎豊子著)を読み、ぜひ亡くなられた方々の鎮魂のために
 (群馬県の)御巣鷹の尾根に登りたいと思っていたので、二十一日に御巣鷹の尾根に登り、参拝をしてきました。
 今後、機会を見つけて山に登りたいと思います。


産経新聞) - 5月24日15時59分更新


ホリエモンに負けずに再起したいと思う。
今回はここまで。