村上龍最新作「半島を出よ」感想


(今回の連続 飛ばし読み可)


ずいぶんとこのブログの更新をさぼってしまった。
プライベートのある生活が始まって2ヶ月ほど経ってようやく慣れてきた感じがする。


その間、本はたくさん読んだ。村上龍の小説の読み直しが多かった気がするが。
音楽の海岸 (講談社文庫)」「イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)
五分後の世界 (幻冬舎文庫)」「ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫)」と読み返したあげく、
最近出版された「半島を出よ」を読んだ。今回はその感想を書こう。


(飛ばし読みここまで)


村上龍の最新作「半島を出よ」を読んだ。
半島を出よ (上) 半島を出よ (下)


系譜で言えば、「愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)
希望の国のエクソダス (文春文庫)」に続く、近未来小説であり、
登場人物としては、「昭和歌謡大全集 (幻冬舎文庫)」の生き残りの人物が登場する。
小説としての出来は、「悪くない」という感じか。正直あまり真新しさは感じなかった。
一歩踏み込めば、「物足りない」と言えなくもない。


村上龍の小説に私が期待するものは、
①読んだ後に、「今のままでいいのか?」と思わせるような自分に対するフィードバック、
あるいは、②新しいものの見方、発見のようなものである。
①としては、この小説を読んで日本政府の対応として「今のままでは良くないだろう」
という気にはさせられるものの、個人としての私に対してどうこうというような
フィードバックは感じられなかった。
②としても、別段新しい発見や、見方のようなものは得られなかった。


大胆な仮説が今回の作品にはなかったのだとなんとなく私が感じているのが原因だろう。
仮説と暴きがなかったのだ。
「愛と幻想のファシズム」には、上手く表現できないが、すごい衝撃があった。
希望の国エクソダス」には、発見と突破の糸口があった。
「半島を出よ」には、そういうものはなかった気がする。


たぶんイシハラグループに魅力もオルタナティブ性も感じないからだろう。
他人と上手くなじめないオタクの集まりであるイシハラグループは、結果的に
日本政府が解決できなかった日本の危機を救うことになる。
つまりこの小説では、日本政府のオルタナティブな存在として、イシハラグループが存在する。
しかしながら、だからといって、他人とうまくなじめないオタクの集団という位置に
自分を置きたいかと問い訊ねれば、答えはNOである。


一方で、「愛と幻想のファシズム」の「狩猟社」にはやはり魅力があったと思うし、
希望の国エクソダス」の「ポンちゃん不登校の中学生の集まり」にもある種の
シンパシー、あるいはオルタナティブ性を感じることができたはずだ。
しかし、「半島を出よ」の「イシハラグループ」にはそういったものはなかったのだ。


エンターテイメント小説としては、ものすごく面白いわけではないが悪くはない。
ただ私が村上龍の小説に期待し、求めているものがなかっただけなのだ。


あまり他人が読んで参考になる感想ではないが、一応書き留めておく。
今回はここまで。