日本人に血液型があてはまる(ようにみえる)理由

(今回の連続 飛ばし読み可)
なかなか更新できてなかったが、久しぶりに書く。
またもや前置きなのだが、今回の裏テーマは「言葉」の持つ力のようなモノについてだろう。
私のリスペクトしている人達は、「村上龍」にしても「松本人志」にしても「糸井重里」にしても「ベンジー」にしても、他にもいっぱいいるけれども、それぞれ「作家」であったり「芸人」であったり「コピーライター」であったり「ミュージシャン」であったり、職業はばらばらだが、なんかしら「言葉」を使って商売(という言い方は失礼かもしれないが)している人達であると言えるだろう。
(もちろんこれらの人たちは「言葉」だけで商売しているわけではない。そのことをもっと個人的に掘り下げてしまうと、どうしても「意味」を追求してしまうがゆえにスルりと逃げてしまうモノに対するもどかしさという、全く別の個人的なテーマも浮かび上がるのだが、それについては今回は触れない。)
そろそろ本題へ・・・
(飛ばし読みここまで)


そろそろ下火かな〜と思うのですが、少なくとも去年(2004年)は血液型ブームだったと思う。まあ細木数子や韓流(ヨン様)なんかには遠く及ばないものの、マジックよりは流行っていたような気がする。
ちなみに私はA型が入ったO型で、まあ実感としては自分の傾向をうまく説明できてるような気がするのであてはまってるといえばあてはまってるような気がする。
別に血液型別の性格診断が本当であろうとウソ(なんの科学的な根拠もないデタラメ)であろうと私はどっちでもいいのだが、たぶん「日本人は外国人にくらべて血液型があてはまる確率が高い」とは思っているので、例によってその仮説を検証してみる。


ひとことでいうとキーワードは「(言葉の)自己達成予言」だと思う。
「(言葉の)自己達成予言」とは、たぶん心理学用語なんですが、「人間は口に出していった言葉に対しては、自分の中での整合性を保つために、無意識のうちにそれに合わせて行動しようとする傾向があるため、そんなつもりがあろうとなかろうと、口に出して言った言葉にふさわしいような行動をとってしまう。要するに極端なことを言えば「言葉」を口にしたら、自分の意思とは無関係に、その「言葉」そのものが「ホントウ」になるように行動してしまう傾向があるということ。つまり結果として、発した「言葉」はそれが予言として達成されるように無意識のうちに作用する力を持っている」ってことになると思うわけです。


まあ、これがどう血液型と絡んでくるかというと、輸血のことをあえて考えなければ、こんなに馬鹿みたいに血液型血液型って騒いでいるのは日本ぐらいなものだと思うわけです。(韓国でも流行っているという説もあるけれど、それでも要は同じことなのでそのことはいったん忘れます)
で、血液型が好きな人も嫌いな人もなんとなくA型は几帳面だとか、O型は大雑把だとか、なんとなく各血液型の特徴は知っているし、もちろん自分の血液型の特徴はそれを信じる信じないは別として知っている人が大半を占めると思います。
知っているということは「自分は●型で・・・な傾向があるらしい」という「言葉」を自分で仮に発してなかったとしても、おせっかいな友達やテレビのせいで聞かされているから知っているわけです。で、それを信じる人にとっては、その「言葉」の持つ力、いわゆる「自己達成予言」が発揮されて、一般で流通しているその人の血液型にふさわしい特徴により近い行動をとっていくことになり、その結果、血液型別性格診断があてはまるひとが日本人の中で増えていってるのだと思う。そういうような人が日本人のマジョリティとなっているから、日本人は血液型があてはまる確率が結果として高くなっているのだと思う。


まあ要するに科学的な根拠がなくても、「日本人には血液型があてはまっている」という現象自体はたぶんリアルだと思うわけです。まあもっといってしまえば「ウソからでた真実(まこと)」というのが、疑似科学を土台にした日本における血液型別性格診断の流通している現状だと思います。


だから、自分さえしっかりしていれば、「言葉の自己達成予言」を逆に利用することによって、血液型の呪縛からは逃れられると思うんですよね。血液型で悩んでいるような人がもしいるのであれば、そうとらえてもらえればいくぶん気が楽かと思われます。


ちなみにヨーロッパなどでは、あまり血液型には関心が無いようです。かつて中村江里子が今のフランス人の旦那と知り合った当初に、日本的なノリで血液型は何型なの?と訊ねたところ、将来の夫は「なんでそんなこと聞くんだ」と相当怪訝そうなりアクションを示したというようなエピソードがあったような気がするのですが、たぶんそんなものなんでしょう。いずれにしても外国人を集めて血液型別性格診断があてはまるかどうかを実験してみれば、きっと日本人のような結果は出ないと思います。それは、血液型に関する「言葉の自己達成予言」が外国では発揮されていないからだと思います。


まあ今回は、よく言われていることではありますが、血液型における「言葉の自己達成予言」という現象を例にとって、「言葉」の持っているパワーを検証してみました。
でも私は、その一方で「言葉」に出さないことによるパワーというのもあるんだろうなと思っています。私なんかは特に行動より言葉がついつい先行してしまう人間なのでそう思うのですが、特に自分がこれからやりたいと思っていることの原動力となっているような想いを「言葉」にしてしまうと、その「言葉」にしてしまったことでやったような気になってしまって、結局それがやれないままになってしまうことがあったりするなあとも思っています。
そういう面ではあえて「言葉」にするよりも、その原動力となる「想い」は「言魂(造語:ことだま=言葉の魂)」として密かに自分の心の中で燃やし続けた方がいいなあと思ったりもするわけです。

とりあえず今日はこんなところで。