映画『風立ちぬ』の仮説?〜宮崎駿こそ、真の愛国者だ、という仮説〜


映画「風立ちぬ」は宮崎駿のエゴイズムを(もちろんいい意味で)結集させた作品である。


変な話、もう「みんなに『共感』されなくてもいい」から自分の好きなものを、


そして、自分が「本当に伝えたいメッセージ」を込めた作品であるといえるだろう。


その一面は、映画評論家の町山智浩さんがすでに述べているように、


・主人公は「宮崎駿」本人の投影であり、「飛行機(戦争の道具)が好き」だけど「戦争はキライ」という


 「自分は矛盾を抱えながら歩んできた人間だ。でも、それでいいんだ。それが俺の生き様だ。」


 という、ある種「純文学的な」自己表現の映画であったこと。


・そして、実は、その矛盾を抱えているのは自分だけじゃない。


 すべての「クリエイター」と呼ぶにふさわしい人種は、


 
 そういう「不謹慎で」「妄想癖のある」「獰猛な(でも純粋な)」『魔物』を


 自分の中に飼っている人間であり、そういう人間じゃなければ、


「いいもの」なんか作れるわけがないだろ!という表明をしている映画でもある


という点からも、この映画が「共感」を捨て「本当に伝えたいメッセージ」を伝えるために


作られた映画であるということには異論がないと思われる。


町山智浩さんの映画『風立ちぬ』に関するコメントが読めるページはこちら!↓


http://miyearnzzlabo.com/archives/16031



だが、「ものを作る人間」が本当に「共感」を捨てられるか?といったら本当はそんなことは絶体にない。


「わかるやつだけにわかればいい!」と言いながら「作りあげたもの」の中にこそ、


「本当はみんなにわかってほしい」「つーか、これをわかる人になってくれ!」という


強い願いがこもっているものである。


そこで私が勝手に、宮崎駿がこの映画に込めた「わかってほしいメッセージ」を読み解いてみる。


それは、今を生きる(特に若い)日本人に向けた「強いメッセージ」である。


それは、老人になった(なってしまった)今の宮崎駿だからこそ出来ることであり、


まさに最後に伝えなければならなかったメッセージでもある。


それは、「どうやって日本は、一度は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と世界から


呼ばれるまでの成長を遂げることが出来たのか?その原動力は何だったのか?


もしあなたが日本人だったらそれを今(この映画を観て)思い出してください!


もし日本人なのにそれを知らないならば、せめてそれを今(この映画を観て)知って下さい!」


という、今や「世界の三等国」へとまっしぐらに進む日本とそれをぼーっと眺めてるだけの日本人たちへの


強烈な「叱咤激励」の映画であるということである。


どういうことか?箇条書きにして説明すると…


・映画『風立ちぬ』を観て、「かつての日本がいかに貧しかったか?」を知れ!


・そして「海外(ドイツ)に留学した日本人がどれだけ『悔しい』思いをしたのか?」を知れ!


・でも「その『悔しい』という強い思いがあったからこそ、戦後の日本の技術者は奮闘し、


 この国は「ジャパン・アズ・ナンバー1」と呼ばれるまでになることが出来たのだ」ということを


 もう一度!もう一度!みんな思い出してくれよ!


という「愛国」のメッセージが、映画『風立ちぬ』のもう一つのメッセージとして


込められているのだと思います。


では、なぜ、わざわざ「宮崎駿」がそんなことを伝えなければならなかったのか?


そこには理由があるのです。


「戦前」の時代を知っている人間が、今急速にどんどん日本からいなくなっています。


それはつまり「戦前」の時代を生きていた人々が何を「感じて」いたのか?という「情報」が


日々、今の世の中から失われつつあるということを同時に意味しているのです。


歴史はいやおうなく繰り返されます。その原因の一つは、当時の人々が「何を「感じて」いたのか?」


という「情報」が、その当時の人々の「死」とともに忘れ去られていくというところにあります。


それは、「戦争があった」という「悪い記憶」だけでなく、


「戦争の裏で」「こんなふうに頑張っていた日本人がいたのだ」という「良い記憶」もまた


同時に日々喪失されていっていることを意味しているのです。


そして、その「良い記憶」の「原動力」になっていたのが「悔しさ」だった、という「情報」は、


宮崎駿が映画「風立ちぬ」を作らなければ、歴史という大きな海の藻屑となって消えていたことでしょう。


「今、再び貧しくなりつつある日本人の同胞たちよ!


 あの頃を思い出し、もう一度悔しがれ!悔しがってもう一度頑張れば、


 きっとまた世界を「あっ」といわせる立派な「日本」に戻れるはずだ!目を覚ませ!」という


 メッセージを伝えることで、宮崎駿は今を生きる若者たちを「叱咤激励」したかったのだと私は思います。