「お金」の持つ負のパワーに敗れたホリエモン 〜「消費」よりも「消化」重視の発想へ〜


まあ、ここまできて、自分の「お金」に対する考えとして、
「お金があれば、不幸を防ぐことができる(可能性が高い)」に
付け足すとしたら、
一方で「お金」の持つ怖さというのもあるんだろうなぁ。というところでしょうか。
幸か不幸か自分はバブルを肌で感じたことはないですし、
大金持ちになったこともありません。
でも「お金」がありすぎて困ったり、自分にマイナスの影響を与える
ということも絶対にあるんだろうなぁ、と思っています。


というのも、「お金」にはものすごいパワーがあるからで、
「お金」というものが集まりすぎると、その「お金」の持つパワーを
その持ち主である人間がコントロールしきれなくなって、
ふりまわされてしまうのではないか、と一方では思うのです。


まず、これは村上龍も言っていることだけど、「お金の自己目的化」という危険性がその一つ。
古くからよく言われていることですが、「お金」はあくまで手段のはずなのに、
それを稼ぐことそれ自体を目的にしてしまうとだんだん間違った方向に進んでしまいます。


そしてもっと言えば「お金」をたくさん持っているという理由だけで、
自分の関わりたくない人たちが勝ってに身の回りに集まってきたり、
時には命を狙われたり、金目当てで女が近寄ってきたり、などなど
宝くじの1等が当選すると急に友達が増えたりするのもそうですが、
「お金」というものが必要以上に手元に集まったとき、
その人をマイナスの方向に誘導する負のパワーが生じる可能性がある、
という気がするのです。


これは「有名」になったときも同じようなことがいえるかもしれません。
一見ぜいたくな悩みのように見えますが、
ぜいたくな悩みというのは、実は深刻な悩みであるという気がします。


ホリエモンことライブドアの元社長の堀江貴文さんは、まさにこの
「お金」と「有名」の持つ負のパワーに押しつぶされた人なのではないか?
と私は思っています。


「お金があれば、不幸を防ぐことができる」はずだったのに、
ホリエモンの「お金で手に入らないものはない」というような発言にみられるように、
「お金で何かを手に入れよう」という発想になってしまうと、
「お金」の持つ強力な負のパワーが作用してしまうのかもしれません。


「お金」や「有名」というのはそれ自体にものすごいパワーがあるのです、きっと。
だからそれを手にする人には、それを超えるパワーが要求されるのだと思います。
しかも人間というのは、そういったパワーを利用すればするほど、
その人自身のパワーが弱まるという傾向がきっとあるのです。


力に頼る人は力を失うのです。


日本社会でわかりやすくいうならば、
「肩書き」の力がそれに相当するかもしれません。


下流社会」「希望格差社会」といわれる現在の日本社会の特徴のひとつとしては、
「肩書き」というパワーが一生安泰ではなくなった社会だと言えると思います。


「有名大学」「一流企業」こういった肩書きにどっぷり浸かっている人は、
その肩書きをはがされたときに、なにも残らない人になってしまう可能性があります。


「肩書き」も「有名」の変形のようなものですが、
あくまで手段であり、それ自体に社会的なパワーがあります。
だから危険もあるのです。それがなくなっても大丈夫な自分であるか?
と時には自問自答するぐらいの方が賢いような気がします。


話を「お金」に戻しましょう。
結論として「お金」に対するオルタナティブなスタンスの取り方としては、
「お金は、不幸を防ぐための道具にすぎない」から
「欲しいものは自分の力で(自力で)手に入れる」
「欲しいものを手に入れられるような自分を常にKEEPする」
という発想が最終的には大事なのでは、と思っています。


これを私は〜「消費」よりも「消化」重視の発想〜
と呼んで重要視していきたいと思います。