「お金」と「有名」について 〜ホリエモン(ライブドア堀江貴文社長)逮捕から考える〜
最近の日本人の中で、最も上記2つ(「お金」と「有名」)をわがものにしていたのは
ライブドア元社長のホリエモンこと堀江貴文であろう。私は以前ホリエモンに関して比較的好意的に言及した。(下記参照)
http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20050305
その中で、「ホリエモンは、ただのアンチで終わるのか?
それとも日本人のオルタナティブな存在となれるのか見守っていきたい」としていたのだが、
逮捕されたことにより、オルタナティブな存在になれる可能性がだいぶ減ってしまったような気がする。
残念な気もするし、これで良かったという気もする。これで良かったかも、と感じさせる要因はいろいろあるのだが、
あえて一つ言えば「姑息さ」が見え隠れしていたからであろうか?
「新しいことをやる」「新時代を開く」というような勇ましい掛け声とは裏腹に、
彼がやってきたことの中で注目を集めたものは、ほとんど全て、
すでに価値あるものを買収して飲み込むことで、自分の価値も上げようという発想の域を
出ていないということである。
「新しいこと」はほとんど何もやっていないに等しいのだ。
近鉄や仙台の球団の買収にしたって、プロ野球という既存の価値に乗っかったものだし、
フジテレビの乗っ取りにしてもそう。選挙に出て政治家になろうとすることもそうである。
彼の上昇志向の意欲は正直すばらしいものがあると思うし、実際上昇していく能力も
人並み外れたものが備わっていることは間違いないだろうが、それだけだ、とも言える。
彼には人並み外れた上昇志向とその能力があるだけで、
きっと新しいモノや仕組みやモデルは生み出せないという類の人なのだ。
そしてそれこそが大志を抱いた日本の高学歴人間の弱点だと思うのである。
なぜそんなことを言い切れるかというと、昔の私の傾向とそっくりだからである。
(ただし私には上昇志向はあったとしても、ホリエモンほどの能力はないが・・・)
昔の私は、今のホリエモン(←逮捕前)みたいになりたいと思っていたような気がするのだ。
「社会を変化させるような何か大きなことを成し遂げて、名をあげたい」
そんな社会的な成功こそが「人生の成功」だ、と。
ちょっと世間で俗にいう、「いい高校」とか「いい大学」とかに入れてしまうと、
ついつい周りの大人たちは、その子の将来を勝手に期待してしまう。
すると、そんな子供達の中には良くも悪くも勘違いをする子が出てきても不思議ではない。
(まあ本当に賢い人はそんな手に乗らないのだろうが)
本当は他の人よりたまたまちょこっとだけ勉強ができたというだけのことなのに、
自分は他の人たち優秀だ。何をやってもできる、という万能感を持ってしまったりする。
(もちろんそんなことはないのですが)
そして、そういう子に限って勉強ばっかりやってきたがために、
自分のやりたいこととかが見えてなかったりする。
でもせっかくなので何かでかいことをやってやろうという気持ちは高まっていく。
そうなってくると「やりたいこと」が見えてない以上、
客観的な要素のなかで「でかいこと」をやろうとせざるを得なくなる。
それがわかりやすいのは「お金」と「有名」である。
たくさんの「お金」を集めたり、稼げれば「でかいこと」をやっている気になる。
また「有名」になればなるほど、自分がすごい人になった気になれる。
「東大」を出て「お金があれば女も手に入る」といった発言をして、
実際に世間からすごいといわれている女性(西村美保や吉川ひなのなどのモデル)
とつきあうことなど、まさに「お金」と「有名」と「うらやましさ」の追求だ。
あとはそれをひたすら追求し続けていくことで社会的成功を勝ち取ればいい。
わかりやすく言えば、
人からうらやましがられるような生活をKEEPし続けるためにひたすら頑張り続けるのである。
これはもちろん他人からみれば確かにうらやましい生活なのだが、
実は当人にとっては、成功すればするほどつらくなる可能性もあると私は思う。
「やりたいこと」があってそのジャンルで成功した人にとっては、
その「やりたいこと」をやり続けることで精神的な充足を得られる。
「やりたいこと」がある人は、「成功」の基準を自分の中に持っているといえる。
しかし、ただ単に「お金」と「有名」を追求している人にとっては、
「成功」の基準が常に自分ではなく他人に委ねられているため、
非常に精神的に不安定にならざるを得ない。
現在は「高度消費社会」かつ「高度情報化社会」である。
一度有名になったとしても、何もしないでいれば人々はすぐに
その人のことを忘れ去ってしまう。
「有名」であることを「やりたいこと」つまり「自分のフィールド」を持たずに
維持するというのは、もはやほとんど不可能であろう。
まあホリエモンに関していえば、ウソから出たまことのようなもので、
「何かでかいこと」をやるために、起業して、「お金」を稼いでいくうちに、
「金融業」と「インターネット」という一見「自分のフィールド」といえるような
ものを手にしていたといってもいいだろう。
しかしながら「金融業」も「インターネット」もホリエモンの「フィールド」には
なりえても、「やりたいこと」というわけではなかったはずだ。
それはつまり、「自分のフィールド」を持っていたとしても、
そこからは精神的な充足感、満足感は得られないということを意味している。
そうするとやはり、「お金」と「有名」という他人からの評価、価値判断で
精神的な充足感を得ようとせざるを得ない。
そのためには、無理してでも「お金」を稼いで会社を大きくしていかなくては
ならないし、「有名」であり続けるためには、すでに価値あるものを
自分の支配下におくことで、自分のことをアピールし続けなければならない。
そんな風にして無理をし続けた結果が今回の逮捕につながったという気がする。
まあ本当の所は本人に聞いてみないとわからないのだが、
きっとそうなのではないだろうか?
「向上心」は時に人を「不幸」に導くのである。
自分の「成功」「幸せ」は自分で決める(定義する)というのが大事なことだと思う。
ホリエモンに限らず、「お金」と「有名」は現在の隠れたキーワードである。
最後に、「お金」と「有名」について考えるきっかけとなった
ほぼ日の「ダーリン(=糸井重里)コラム」からの引用をして終わることにする。
http://www.1101.com/darling_column/archive/0707.html
(引用開始)
金(カネ)の問題と、有名の問題は、
もっとちゃんと考えた方がいい時期がきていると思う。
どちらも、欲望まるだしで語る人はいくらでもいるが、
しっかり考えてきちんと語ってくれる人は少ない。
金がすごいものであるように、有名もすごいものだと、
ぼくは思う。
どちらも、「それ自体が目的たりえない」ということも、
そっくりだ。
(以下略 引用ここまで)
まあホリエモンも俺なんかに言われたくないだろうけど、
あきらめるのはまだ早いと思うけどね。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」(fromスラムダンクの安西先生)
能力があることはみんななんとなくわかってるんだから、
じっくり落ち着いて彼が自分で定義した彼なりの成功を再び目指してくれることを
祈ります。そうすれば、こんどこそ本当にオルタナティブな存在になるかもしれないので。
ホリエモンファンの皆様、ナマイキ言ってすみません。
今日はこんなところで。