新型コロナの真実を探る【ショック・ドクトリンでなければいいが…】

(今回の連続 飛ばし読み可)

 

 

気づけば、はてなダイアリーは、この世から消え去り、

はてなブログのみが残った。

(記事を勝手に移してくれた、はてなの運営の人はいい人たちだ)

 

 

実に4年ぶりの記事である。

 

 

固定読者などいないだろうから、

別に、何の問題もないのだが…。

 

 

なぜブログ(ダイアリー)を書かなくなったのか?

 

 

大きな原因の一つは、

「自分に子どもが1人出来ただけで、

 こんなに時間がなくなるなんて、

 思ってもみなかった。」

ということがあげられる。

 

 

世の中の親という人たちは、

(親になる前の)自分が想像していた以上に

偉かったのだ。

(子育てが大変だ、難しいと実感している分、

 敬意を抱けるようになった)

私は全くわかっていなかった。

 

 

冷静に考えてみれば、

少なくとも現段階(2020年7月14日現在)では、

人間には、(物理的な意味で)親と呼べる人が

いない人は地球上に一人もいない。

(いや、私は孤児だった、とかいう人や

 いや、私は試験管なんちゃら、とかの

 反論を内包する意味での「物理的」です)

 

 

というより、ざっと100年たてば、

今、子どもがいない人たちの子孫はゼロになり、

子どもを産んだ(親になった)人たちの子孫だけの世界が

いやでも出来上がる。

 

 

一方で、「わいは子孫残したったでー(ドヤ)」

という人も、

「子孫残さなかった分、わいは人生エンジョイしたったでー(ドヤ)」

という人も、

平等に100年後は死んでいる(はず)

(もちろん10✖歳まで生きる例外はあるが、

 誤差の範疇である。)

 

 

まあ、それぞれが悔いのない人生を送ればいいだけなのだが、

未来はさておき、今この地球上で同じ時代を生きている全ての人が、

いわば、100年前の人たちの

「わいは子孫残したったでー(ドヤ)」の系譜の人だ、

という事実は、なかなかに興味深い。

 

 

~「種の保存」という動物的な人間の本能~

あなたは抗(あらが)いますか?それとも、乗っかりますか?

 

 

長くなったので、そろそろ本題に入ります。

 

 

(飛ばし読み ここまで)

 

 

■日本における「新型コロナ」の真実とは?

 

 

えーと。まず私、家に帰ったら、まず手を洗います。

それから、うがいもします。

朝、起きたら、体温測ります。熱のないことを確認します。

でもって、外出するときは、必ずマスクを着用します。

 

 

独身だったら、オラって、上記を省く思想もありえたけど、

こればっかりは、嫁・子どもに迷惑はかけられないので、

おとなしく、やっちゃってます。

 

 

まあ、でもさ、思うところ、あるじゃないですか。ねえ?

 

 

元々、ロックに生きるって決めてたもんで…。

 

 

(参照)

「ロック」とは「自分にウソをつかずに生きていくこと」

https://kj-create.hatenadiary.org/entry/20120130/1327864137

 

 

で、まあ、先日、7月5日に見事に都知事選で再選を果たした小池百合子都知事

都民に移動の自粛を要請。(2020年7月6日)

 

 

参考)小池都知事が、「東京差別」を助長する都民の移動制限に固執する理由

   https://diamond.jp/articles/-/242608

 

 

その一方で、2020年7月10日には、日本政府は、

「感染拡大防止と社会経済活動の両立に取り組むことが政府の方針。

 スポーツ観戦も予定通り行うということで、

 Go Toトラベル事業も進めていく」と表明。

 

 

参考)どこへGo Toすれば… 外出配慮?旅行? 都民惑わす政策のちぐはぐ

   https://mainichi.jp/articles/20200711/k00/00m/040/201000c

 

 

で、まあ、東京都と国が、真逆のこと言ってますけど、

一体どうすりゃいいの?ってなるわけですけど、

自分(や身の回りの大切な人)を自分で守るために、

今、日本で起きている状況を、自分なりに整理したいと思ったわけです。

 

 

自分で考えて、自分が立てた仮説に納得したうえで、

行動した結果は、素直に受け止められるかな…と。

 

 

まず、大きくは、日本の死者数(実数)に注目します。

(脱線するので、ここでは詳細は省きますが、

 いろんな統計やデータが世の中にはあふれてますが、

 だまされたくない人は、「率」ではなく「実数」に着目する癖を

 つけた方がいいと思います。「実数」は実感を伴いますが、

 「率」には、実感から遠ざける作用も内包されており、

 自分は頭がいいと思って(世の中を動かしていると錯覚して)いる人たちが、

 バカ(な愚民ども)にはわかるまい、ケケケという要素が

 若干、まぎれこむ可能性があります。要注意です。

 なんだよ経済成長率って。なんだよマイナス成長って。

 なんだよマイナス金利って。…以下略。そんなもの本当にあるのかいな。)

 

 

話を元に戻します。

 

 

新型コロナ死者数推移(2020年7月11日現在)

         5月21日  7月11日 
アメリカ合衆国 9万3806人→13万5094人
イギリス    3万5704人→  4万4602人
イタリア    3万2330人→  3万4938人
フランス    2万8132人→  2万9979人
スペイン    2万7888人→  2万8401人
ブラジル    1万8894人→  6万9254人
ドイツ        8270人→     9125人
中国                         4634人→     4634人?その後発表せず?
ロシア        3099人→  1万1017人
日本                           784人→         982人
韓国                           264人→         288人
cf)インド      ?人→ 2万1604人
   メキシコ     ?人→ 3万3526人

google先生のコロナウィルス感染者数、推移より抜粋)

 https://news.google.com/covid19/map?hl=ja&mid=/m/02j71&gl=JP&ceid=JP:ja

 

 

上記のように、死者数だけで見ると、日本すげー(少ないじゃん)、となる。

(たぶん偶然だけど。)

ただ、人が亡くなっていることに変わりはない。

だから、問題が難しくなるのだけれど…。

 

 

もちろん、なんでこんなことになったんだ?と

ちゃんと考えている人たちがいる。

 

 

世界がモヤモヤする「日本の奇蹟」を裏付ける"国民集団免疫説"
…京大教授ら発表 ~死者数がここまで少ないのはなぜ~
https://president.jp/articles/-/35711

 

 

京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、
吉備国際大学岡山県)の高橋淳教授らの研究グループが

発表したプレプリント(査読を通過する前の論文)から抜粋すると…

 

 

(以下、ざっくり抜粋 開始)

 

 

いわく、新型コロナウイルスには3つの型があるという。

S型、K型、G型だ。最初にS型が発生し、

それが変異したものがK型。

武漢でさらに変異した感染力の強い型がG型だ。

 

 

先駆け(sakigake,S)であるS型。
S型から変異したK型は、無症候性〜軽症で、
中国における感染症サーベイランスでは感知されず蔓延したが、
日本のインフルエンザ流行曲線が大きく欠ける(kakeru,K)
ほど、K型ウイルスの流入が認められた

 

 

武漢においてさらに変異した武漢G型(typeG,global)は、
さらに重症の肺炎を起こすため、
中国の感染症サーベイランスが感知し、
1月23日に武漢は閉鎖された
武漢市長によるとむしろ閉鎖により
 約500万人が市街に流出したともいう)。

 


一方、上海で変異したG型は、最初にイタリアに広がり、
その後ヨーロッパ全体と米国で流行した(欧米G型)。

 

 

日本政府が行っていた入国制限は、
3月9日までは武漢からに限られていた。

 


その結果、S型とK型が武漢以外の中国全土から
日本に流入・蔓延し、多くの日本人が感染した。(集団感染?)
日本人は、武漢で猛威をふるったG型が日本に到来する前に、
すでに新型コロナウイルスの免疫ができていたということなのだ。

 

 

旧正月春節」を含む昨年11月~今年2月末の間に、
184万人以上の中国人が来日したともいわれている。

 

なお、G型ウイルスはK型より非常に感染力が高い。
そのため、G型に集団免疫が成立するには、
集団の80.9%の人が感染して免疫を持たなくてはならないという。

 


一方、K型で集団免疫が成立した段階では
集団54.5%しか感染して免疫を持っていないため、
80.9-54.5=26.4%に新たに感染が起こる。
K型で集団免疫が成立していたにもかかわらず、
日本に流行が起こったのはこのためだ。

 

 

(ざっくりな抜粋 ここまで)

 

 

まあ、信憑性は高そうな気がする。

ただ、解釈を一段階手前の段階に留めて

「やばいG型はまだ日本に本格的には入ってきていない。

 (入って来ていたら、

  もっとばったばった人が死んでるはず)」

ぐらいに捉えた方が良さそうだけど。

(日本人はK型にすでに感染していて集団感染成立済み、

 だからG型が入って来ても大丈夫!(ドヤ)は

 あくまで、まだ仮説段階での妄信は危険かと。

 そうだったらいいな~。ぐらいのスタンスが妥当かな。)

誤解してほしくはないのは、だから日本(人)は安全、

なんてことを主張したいわけではない。

 

 

まあ、新しい生活様式。手洗い、うがい、検温、マスクとかは

続けましょうや。

 

 

ただ、日本にG型が新たに(本格的に)持ち込まれるまで(期間限定)は、

おそらく、「本当にコロナが原因で死ぬ人」は、

そんなに大量発生しない可能性が高い。とはいえるだろうと思った。

 

 

大事なのは「本当にコロナが原因で死ぬ人」とは何なのか?ということだ。

 

 

「今の日本は2週間前のニューヨークだ」

※当時のニューヨークは、死者数が増大し、ロックダウンしていた。

 このまま無策でいれば、日本もそうなる。(だから言うことを聞け!)

という、いわばショック・ドクトリンが発動され、

日本全体も緊急事態宣言に一度は突入した。

(2020年4月7日~5月6日まで。一旦5月7日以降も延長され5月26日に解除)

 

 

※ちなみに筆者は、4月7日~5月6日までの緊急事態宣言は必要悪だった

 と考えている。結果論からいうと、延長は蛇足だった気もするが、

 あの段階での延長の判断はやむを得なかったかも…という実感はあった。

 

 

その緊急事態宣言を国民に抵抗なく受け入れさせたのは、

有名人の訃報というビッグニュースだろう。

 

 

志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎

2020/3/30 10:12 (2020/3/31 11:00更新)
 日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57387450Q0A330C2CC0000/

 

乳がん治療の影響は? 岡江久美子さん(63)
死去を受け、専門家が語る「新型コロナの本質」

 

国内

国内

https://www.fnn.jp/articles/-/36078

 

 

この有名人の訃報に接し、もちろん悲しいし、

多いにショックを受けたが、

それ以上に、あっ、コロナって本当にヤバイんだ、

私も僕も死んじゃうかも…と思った人は多いはずだ。

 

 

 

しかも、亡くなる可能性があるのは、

年配だけじゃないと思わされるニュースもあった。

 

28歳力士が新型コロナ死去 
国内初20代の死亡報告角界から…
スポーツ界影響必至

デイリースポーツ 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/18c2e955ca4abb2adf0d429d5637691fa9e28e2f

 

 

そう、なんですけど。

 

 

そう、なんですけど。

 

 

そう、なんですけど。

 

 

今、冷静に当時を振り返ってみると、

この3人の死因は、本当にコロナだったのか?とも思うわけです。

 

 

もちろん、原因の一つに間違いなく、コロナウイルスは関係していると思います。

そこは異論なしです。ただ、それが主因だったのか?は

議論の余地があるような気がしています。

 

 

先に、結論を書くと、

G型のコロナが日本で本格的に蔓延するまでの間は、

持病を持っていない日本人は、そう簡単に

死なない可能性のほうが高い。

そういう仮説が成り立つのではないか?と思っております。

 

 

志村けんさん →肝硬変だった説あり(免疫力低下が重症化の主因?)

岡江久美子さん →《昨年(2019年)末に初期の乳がん手術をし、1月末から2月半ばまで放射線治療を行い、免疫力が低下したのが重症化した原因かと思われます》

・28歳の力士 →糖尿病の持病あり。

 

 

逆に、持病を持っている方が身近にいるのであれば、

真剣に新型コロナ感染防止策を徹底しなければなりません。

自分が加害者になる可能性があります。

(本当は、持病を持っている人にこそ、

 いろいろと社会生活を我慢してもらうための

 補助金を支払ってあげる必要があるのかもしれません。)

 

 

ただ、それ以外の人たちに、過度な自粛を強いるのは、

おそらく現状に合っていない、という気がします。

(そこの、自粛警察のあなた!

 正義を叫ぶものこそ疑え!という言葉がありまして…

 お気をつけくださいね!

 脱線覚悟で言えば、あなたたちみたいな人が、

 無自覚に、国家を、国民を、戦争に駆り立てる原動力に

 なってしまう可能性すらあるのですから…)

 

 

だから、都民の移動の自粛云々という話に関しては、

現状、GO TO キャンペーンを推進している国の方に

軍配があがる気がしてます。

 

 

ただ、海外からの人の流入には、残念ながら、

まだまだ警戒が必要かと。(G型が入ってくるかもですからね…)

 

 

とはいえ、完全に海外との人の行き来も

シャットダウンは出来ないでしょうから、

本当の意味での第2派というのが来るとしたら、

「本日の東京の感染者は200人です」とかは

S型やK型の可能性が高いので全く関係なく(言わせておけ)

「本日の東京の死者は〇人です。持病は〇〇orありませんでした。」

というニュースが流れる日が来たら、

「やばいやつ(G型)がついに日本にも来やがったな。

これは用心しなければ…。」と勝手に緊急事態宣言状態に

入って、不要不急の外出は避ける。

 

 

逆にいえば、それまでは、なるべく従来の生活を取り戻す方向で

それぞれの人生を歩んでいくのがいいのではないか?と

個人的には思いました。

 

 

あくまで2020年7月14日時点での結論です。

 

 

投資とコロナ対策は自己責任でお願いします。

 

 

以上、本日はここまで。

 

 

“「便利」さが「貧乏」を生んでいる”という仮説


21世紀が始まって早15年。


やれ「ミレニアム」だ、「2000年問題」だ、と騒いでいた時代が懐かしい。


光陰矢の如し。


あとちょっとしたら「昭和」生まれが、


ちょっと前までの「明治」「大正」生まれみたいに、


「前の時代の人」「前の時代を知っている人」と言われる日があっという間にやってくるだろう。


だからこそ言おう、ここ15年間、21世紀に入ってから


ずっと感じ続けてきた「違和感」を。


ずばり『世の中ちょっと「便利」になり過ぎてやいませんか?


それによって「失われたもの」「失われつつあるもの」「これから失うもの」について


ちょっと立ち止まって「考えて」みませんか?』


その結論こそが、今回の“「便利」さが「貧乏」を生んでいる”という仮説である。


「便利さ」は「価値」の「暴落」を引き起こし、


「価値の暴落」はめぐりめぐって


多くの人々の「給料」の「低下」を導く。


その「負のスパイラル」を延々と繰り返してきたのが、


ここ15年だったと言わざるを得ない。


「価値」とは何か?乱暴に言えば、


「価値」とは「手に入れるために費やした労力」と等価である。


・月980円払えばいくらでも聴ける「ぼわーっと膨大な曲の集合体の音楽」と


 1000円では1枚しか買えない。どうしよう。どのCDを買えばいいのか?


 あれも欲しい、これも欲しい。えいっ決めた。このCDだ。という選び抜かれた「一曲」。


 どっちが「価値」がありますか?


 どっちが「ミュージシャン」や「レコード会社」の「給料」を支える仕組みですか?


・クリックひとつで手に入る「電子書籍


 「本」と同じ「価値」が本当にあるのか?


・クリックひとつでなんでも手に入るamazonでの「買い物」に本当に


 以前と同じだけの「買い物」の喜び=「価値」があるのか?


(脱線するけど、暇な人は読んでみて下さい!単純に読み物として面白いから!
 『ヨドバシ「ここは俺に任せて先に行け!」Amazon「ククク…」 』
 http://hamusoku.com/archives/9099147.html 何を「感じる」かはあなた次第です!)


いや、別に、いいんですよ。そりゃ便利な方がいいに決まってるって、


思いますもの、一生活者として。しかも便利なだけじゃなくて、


どんどん「何もかもが、誰でも、安く、お手軽に、手に入るようになっていって


何が悪いの!?いいことばっかりじゃん!」っていう声が聞こえてきそうだな〜。


いや、私も基本的にはそう思ってます。でもね、


でもね、あたしゃちょっと気づいちまったんですよ、


誰も反対できない「あまりにも良い」方向性には必ず裏がある。


で結論としては、これってみんな気づいてないけど、実は単なる


「20世紀の悪夢」=「社会主義共産主義がたどった道」の「アナロジー(類似現象)」に


過ぎないんじゃいの?って気がしてならないんですよ。


20世紀の「社会主義」「共産主義」が目指したものは「みんなが平等な世界」。


この「きれいごと」を面と向かって否定するのはわりと難しい。


でもって、その「社会主義」「共産主義」がもたらした最終的な結果は、


皮肉なことに「みんなが平等に『貧乏な』世界」だったわけです。


でもって今、誰もがいいことだと思って受け入れている、


21世紀に入ってからの『便利さが加速していく世界』が導こうとしている世界は、


『みんなが平等にタダで何にでもアクセスできる世界』とほぼ同義で、それがもたらす結果は、


「20世紀の悪夢」同様、またしても「みんなが平等に『貧乏な』世界」なんじゃないの?


それこそが「20世紀の悪夢」の再来、つまり「21世紀の悪夢」そのものなんじゃないか?


という気がしてならない。


どうやら私は苛立っているようだ。なぜ俺が苛立っているのか?


突き詰めて考えると、その結果もたらされる21世紀型の「みんなが平等に『貧乏な』世界」は、


本当に「みんなが平等に『貧乏な』世界」なんてわけではなく、その「みんな」の中に入らず、


その外から、高笑いをして見物しているやつらがいるって直観で、肌で感じているからだ。


それは、きっと、この本と同じ結論に達するはずである。


21世紀の資本

21世紀の資本


なぜなら「ホントウ」に大切な情報は、芯をくっているかぎり「シンクロ」するからだ。


かといって『便利さ』を拒絶して生きていくのも、


もはや大変だものね。


「貧乏」でも私は「幸せ」だという人が増えれば、


それはそれでいいのかもしれない。


でも、あなた、本当に誰からも騙されていないって断言できますか?


現に2005年あたりから「年収300万円の豊かな生活」とか


言い始めてたもんな〜。なんか臭うんだよな〜、やっぱり。


新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 (知恵の森文庫)

新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 (知恵の森文庫)


対処法はあるのか?マクロ(政府)に期待しても無駄だ。


マクロ(政府)に対しては、「無駄な税金を取るのをやめろ!」という以外、


議論の余地はない。「余計なことをするな!党」を私が旗揚げしない限りは、


マクロ(政府)に期待しても無駄である。


これこそが私が「マクロの罠」と呼んでいる、現代の政治的課題である。


世の中のすべての解決策は「ミクロ(個々人)」レベルでしかありえない。


貧困問題だろうが、格差問題だろうが、社会問題は本当はミクロでしか解決不能なのだ。


なまじ「勉強が出来る」とか「頭がいい」連中が、この「マクロの罠」に


ひっかかり、その才能を無駄にする。本当はこの流れ=悪循環をこそ、


なんとかしなければならないのだが、今日はこれぐらいにしておく。


じゃあ、ミクロで個々人が今からでも出来ることは何か?


結局「価値」あるものにはちゃんと「対価」を払う、という意識が


自分だけじゃなく、この世界の「持続性」のカギを握っていると思うのだ。


あなたが好きなもの(食べ物でもお店でもアーティストでも映画でもゲームでもなんでも)を、


ずっとキープしたい、世の中からなくなってほしくないと思うのなら、そういうものが一つでもあるのなら、


「フリーライド(ただ乗り)」するんじゃなくて、「対価(お金)」をちゃんと払うことが大事。


もしあなたが「フリーライド(ただ乗り)」するなら、その時は、たまたま


他の誰かが「あなたの好きなもの」を支えてくれているだけ、なのだから。


その点で、「ジャニオタ」や「AKBファン」は、もはや一周して「偉い」のだ!


あいつらだけが「対価」を払って「アーティスト」を支えている。


だが、それでも私は、あんなやつらがのさばる今のミュージックシーンはクソだと思う。


「ジャニオタ」や「AKBファン」に負けないぐらい


すばらしいと思える「アーティスト」にはちゃんと「お金」を「払って」応援しよう。


時には「便利さ」や「タダ」を「拒絶」することによって見えてくる「新たな世界」も


あるかもしれませんよ。


うまく、まとまらないが、本日はここまで。

2015年は「一つの時代の終わり」という仮説 未来は戦争か平和か?

2015年、世間的なインパクトはなかったが、


2015年7月20日に哲学者の鶴見俊輔さんが死去された。


享年93。


言い残しておくこと

言い残しておくこと


そして鶴見氏がこの世から去った、


そのわずか2か月後の2015年9月19日に


安全保障関連法が参議院本会議で可決・成立した。


朝日新聞デジタル 2015年9月19日02時28分
 http://www.asahi.com/articles/ASH9M0GMCH9LUTFK02S.html より引用開始)


安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され、成立した。


民主党など野党5党は18日、安倍内閣不信任決議案の提出などで採決に抵抗したが、


自民、公明両党は否決して押し切った。


自衛隊の海外での武力行使に道を開く法案の内容が憲法違反と指摘される中、


この日も全国で法案反対のデモが行われた。


(引用ここまで)


もちろん、これだけをもって、未来は戦争だとか、そんな短絡的なことを言う気はない。


私はリアリスト(現実主義者。つまり理想主義者ではないという意味。)である。


とはいえ、直接的な因果関係はないが、


「空気」ですべてが変わるこの「日本」という国においては、


鶴見俊輔氏が亡くなり、安全保障関連法案が可決した、この2015年という年は、


後世の「日本史」の教科書において、のちに、大きな分岐点だった、と


語り継がれることになる年になるのかもしれない。


その結果が、「戦争」であろうと「平和」であろうと、だ。


(まあ、本当は、2015年は「世界史」的にいえば、


 中国が主導しBRICS諸国が牽引する「AIIB」に、本来参加しないと思われていた、


 アメリカの同盟国であるはずの「イギリス」「オーストラリア」を含む、


 「フランス」「ドイツ」「イタリア」などの「EU」諸国も参加を


 決めたということの方が、はるかに大きな出来事ではあるけれども…)


それはさておき、この悲しい出来事(鶴見俊輔氏の死去)によって、私に影響を与えた、


「戦争を体験し皮膚感覚で知っている世代」の『BIG3』が


全員亡くなってしまったことになる。


「アンチからオルタナティブへ」を標榜する、私にとっての「BIG3」とは…


【1930年代に10代を送った人】※20代で太平洋戦争⇒敗戦を味わった人


1.享年93「鶴見俊輔」1922年(大正11年)6月25日〜2015年(平成27年)7月20日


  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E4%BF%8A%E8%BC%94


限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)


戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)

戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)


思い出袋 (岩波新書)

思い出袋 (岩波新書)


2.享年87「吉本隆明1924年大正13年)11月25日〜2012年(平成24年)3月16日


  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E


改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)


悪人正機 (新潮文庫)

悪人正機 (新潮文庫)


【1940年代に10代を送った人】※10代で太平洋戦争⇒敗戦を味わった人


3.享年78「小室直樹」1932年(昭和7年)9月9日〜2010年(平成22年)9月4日


  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9




もちろん、おわかりの方はおわかりだろうが、


「1.鶴見俊輔」は(個人的にはその点はどうでもいいのだが)「ベ平連」&「憲法9条を守る会」などで知られる人だし、


「2.吉本隆明」は「安保反対」を唱える「学生紛争」の主体「全共闘」の理論的主柱だった人だし、


その一方で、


「3.小室直樹」は米ソ冷戦時代に、日本中に左翼ウィルスが蔓延しかけた中、


ぶれることなく、誰よりも早く、旧ソ連の崩壊を予言した人物だし、


古い分け方で言えば、


「1.鶴見俊輔」&「2.吉本隆明」は、いわば左翼。


「3.小室直樹」はいわば右翼。


言うなれば、水と油。


この3人を並べるとはいかがなものか?とお叱りを受けるかもしれないが、


そんなことより、私は、(日本語の壁に守られた、狭い)「言論」の世界から、


「戦争を実際に皮膚感覚で体験したことのある」人の発言が「自然消滅」する状態に


なんらかの危機感(センサーのようなもの)が働いている、としか表現しようのない状態である。


なぜなら、「人間は痛みを伴わないと学習出来ない存在だ」という定理を


結局は人類は克服できないだろうと考えるからだ。


「頭でわかること」と「体でわかること」は全く違う。


(2010-01-23 「知る」「わかる」という意味の変容 〜「頭」でわかるか、「体」でわかるか〜
 http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20100123/1264184426 参照)


「戦争」の「痛さ」を知らない人間が、どんなに「戦争」は良くないと思っていても、


土壇場で、もし追い詰められたら、もう「戦争」をやるしかない!という結論になる。


そうなるように出来ているとしか、私は言いようがない。


土壇場とは何か?追い詰められたらとは何か?


それは「貧乏な生活」だったり、「大嫌いな中国が攻めてくる」だったり、


「恋人が出来ない」だったり、「もう子どもが産めない」だったり、


人それぞれなのだが、どれも「みなさん自由な方がいいでしょ!」という大義名分の名のもとに、


「国民みなさんのために推し進めてまいります!」といってここ20年ほど突っ走ってきた


この国の現状でしかない。


私は「嫌われる勇気」を持とうと思う。良薬は常に苦い。今からみなさんが耳を塞ぎたくなる本当のこと(真実)を書きます。


・「金」は無いよりあった方がいい!(お金があれば防ぐことが出来る不幸もある)


・アジア人同士は戦わない方がいい!(私は正直、中国も韓国もあまり好きではないし、言うべきことは言うべきだが喧嘩はダメ)


・人間はどんなに高尚ぶっても「動物」です。(先天的にどうしようもない人を除いては)子孫を残さなかった人の負けです。


・「女はクリスマスケーキ(25歳までに結婚出来ないと価値が大暴落する)」「35歳になると羊水が腐る(BY倖田來未)」


 ひどいと言われてる、上記の2つの発言。真に受けていれば「もう子どもが出来ない」なんて事態に陥らずに済んだはず。


みなさん、騙されてませんか?大丈夫ですか?


騙される人が減らない限り、戦争を避ける手段は、残念ながら存在しない。


なぜなら「戦争」は「世の中」に不満を抱えた人が一定数を超え、


その不満を抱えた人たちが、「何らかの恐怖」などによって扇動されたりしたときに


(いわゆる「ショック・ドクトリン」)発生する(防げなくなる)ものだからだ。


『傷つく人を減らすための 人を傷つける「真実」』ともいうべき「情報」が


今、この国に最も欠けているもの、なのではないか?


とはいえ、そんな私も、戦争の「痛み」を知らない「無力」な一個人に過ぎない。


しかし、先人たちが亡くなってしまった以上、無力だろうが、なんだろうが、


残された人間がやるしかない。その気概だけは失わずに生きていきたい。


鶴見俊輔氏のご冥福をいまさらですが、お祈りいたします。


本日はここまで。


最後にちょっとでも鶴見俊輔氏に興味を持たれた方のために


以下、著名人の鶴見俊輔氏への弔辞を引用しておきます。ご参考まで。


毎日新聞 2015年7月24日 大阪夕刊 より引用開始)
http://mainichi.jp/articles/20150724/ddf/041/040/032000c


■(ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さん)



民主主義者そのもの 2004年、鶴見さんらと共に「九条の会」の呼びかけ人となった作家、大江健三郎さんの話


「広く深く、アメリカ文化に通じた人だった。集会の立ち話で、愉快に教えられた。「民主主義者」そのもの。」



■(反権力押し通す 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの話)



生きることば あなたへ (光文社文庫)

生きることば あなたへ (光文社文庫)


「最後にお会いしたのは2年ほど前で、病気だと聞いていた。大変立派な方で、同い年でもあり、とても悲しい。


 (大逆事件で処刑された唯一の女性で社会主義運動家の)管野スガを題材にした小説を執筆した時、


 どこの出版社も扱ってくれなかったが、鶴見さんが引き取ってくれた。それ以来のおつきあいで、大変尊敬していた。


 ひょうひょうとした感じで、ちっとも偉ぶらない。ちょっとお付き合いしただけでは


 あんなに偉い人だとは分からない方で、とても温かく優しかった。


 あまり表には出さないが、とにかく反権力を押し通した人。


 お元気でしたら(安全保障関連法案を強行採決するなどした政府に対し)黙っていないでしょうね。」



■(一つの時代終わった 宗教学者で元国際日本文化研究センター所長の山折哲雄さんの話)


 「批評をする時はまず刀の切っ先で自分の背中を刺し、腹から出たその切っ先で相手を刺す」


 と語っておられたのを覚えている。


 思想家として、まずは自分を真っ二つに批評してから相手を批評する精神に感銘を受けた。


 今の多くの人が忘れていることだ。お目に掛かった機会はそれほどないが、


 半ば畏れを含んだ敬愛の気持ちは深かった。一つの時代が終わったという気持ちだ。


毎日新聞より 引用ここまで)


朝日新聞より 引用開始)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11886343.html?_requesturl=articles/DA3S11886343.html


憲法という嘘に誠を見いだす 鶴見俊輔さん追悼 小熊英二 2015年7月28日16時30分


〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性


戦争が遺したもの

戦争が遺したもの


小熊英二(歴史社会学者)


 さる7月20日死去した鶴見俊輔氏には、日本の慣用句を寸評した「かるたの話」という文章がある。


 そこで彼は、「うそから出たまこと」という慣用句に寄せて、こう述べている。



 「(戦後に)新しく、平和憲法という嘘が公布された。これはアメリカに強制されて、


  日本人が自由意志でつくったように見せかけたもので、まぎれもなく嘘である。


  発布当時嘘だったと同じく、今も嘘である。しかし、この嘘から誠を出したいという運動を、私たちは支持する」



 鶴見は、自分の代表作は『共同研究 転向』だと述べていた。


 そこで扱われたのは、戦前に国家主義に転向した左翼知識人と、戦後に占領軍へ追放解除申請を書いた右翼や政治家たちだった。


 鶴見はこう述べている。「赤尾敏とか、笹川良一とか、みんな申請書を書いているんだよ。だいたいは、私は昔から民主主義者だ、


 追放解除してほしい、そういうものだよね」(『戦争が遺〈のこ〉したもの』)



 鶴見は「優等生」を嫌った。優等生は、先生が期待する答案を書くのがうまい。


 先生が変われば、まったく違う答案を書く。教師が正しいと教えた「枠組み」に従う。


 その「枠組み」には、共産主義国家主義など、あらゆる「主義」が該当する。


 「日の丸を掲げないのは非国民だ」「マルクス主義を支持しないのは反革命だ」といった枠組みを、鶴見は生涯嫌った。


 彼はその対極として、「作法」や「党派」から自由な、大衆文化や市民運動を好んだ。



 鶴見にとって、枠組みを疑う懐疑と、ベトナム反戦憲法九条擁護の運動は、矛盾していなかった。


 その理由を、南方戦線での従軍経験もある彼は、こう述べている。


 「私は、戦争中から殺人をさけたいということを第一の目標としてきた。その信念の根拠を自分の中で求めてゆくと、


  人間には状況の最終的な計算をする能力がないのだから、


  他の人間を存在としてなくしてしまうだけの十分の根拠をもちえないということだ。


  殺人に反対するという自分の根拠は、懐疑主義の中にある。


  ……まして戦争という方式で、国家の命令でつれだされて、


  自分の知らない人を殺すために活動することには強く反対したい」(「すわりこみまで」)



 鶴見は運動においても、新しい「主義」を次々と輸入し、次々と乗り換える作法を嫌った。


 彼が好んだのは、古なじみの慣用句や通俗的な文化に、意想外の意味を与えていく大衆の想像力だった。


 彼は西洋思想を掲げる学生運動家を好まなかったが、1960年代の学生たちがヤクザ映画を愛し、


 製作者の意図をこえた意味を与えていることには共感を示した。



 国という枠組みにこだわらない彼は、日本の外にも、そうした想像力を見いだした。


 その一つが、征服者が押しつけた聖母像を、メキシコ先住民たちが褐色の肌の女神につくりかえた「グアダルーペの聖母」である。



 そして日本の大衆も、アメリカが押しつけた憲法を、アメリカの意図をこえて受容した。


 追放解除を経た政治家が首相となり、アメリカとの安保条約を改定しようとしたとき、彼らはその憲法を掲げて抗議した。


 恐らく鶴見はそこに、「嘘から誠を出したいという運動」をみただろう。



 鶴見の肉体が滅んだ4日後の24日金曜、夜の国会前を埋めた万余の群衆は、


 「憲法守れ」「民主主義ってなんだ」「誰も殺すな」と叫んでいた。


 これらの使い古された慣用句に、大衆が新しい意味を与えている場面をみたら、鶴見は喜んだだろう。


 たとえ彼らが、「鶴見俊輔」などという名前を、一度も聞いたことがなかったとしても。



■手紙に感激、進むべき道決まる


 <映画評論家・佐藤忠男さんの話> 新潟で工員をしながら映画評論を書いていた頃、


 「思想の科学」に「任侠(にんきょう)について」という評論を投稿しました。


 すると鶴見さんから手紙をいただき、大変感激しました。


 鶴見さんは学者たちに「この人は分析的な文章を書く人です」と紹介して下さった。


 私を一人の研究者として見て下さったのだと感じ、その時私の進むべき道が決まりました。


 鶴見さんは自分と異なる思想の人を理解すべきだとおっしゃっていました。


 相手の人生や論理を理解したうえで反論すべきだ、と。


 それは私が文章を書くうえで、忘れられない教えになりました。


 ■20年前から「葬儀は不要」 黒川創さん語る


 鶴見俊輔さんの長男で早稲田大教授(日本近代史)の太郎さん(50)と、


 親交が深かった作家の黒川創(そう)さん(54)らが24日、京都市で会見し、故人が生前に抱いていた思いを披露した。



 鶴見さんは、今月に京都市であった安全保障関連法案反対デモの呼びかけ人に名を連ねたが、


 法案への具体的な発言はしていなかったという。ただ、反権力の姿勢を貫いてきた鶴見さんの活動ぶりを振り返り、


 黒川さんは「(権力の行為を)止める際、思想と行動をどう結びつければよいか、


 独創性のある抵抗のやり方を考えるべきだという思いだった」と述べた。



 鶴見さんは20年ほど前から葬儀の必要はないとメモに残していたという。


 黒川さんは「『戦前や戦中、宗教者がしてきたことを俺は忘れていないぞ』という態度を貫きたいのだと思う」と推察。



 お別れの会などの予定もなく、「弟子を持たなかった鶴見さんにとっては、開いて欲しくないだろう」と説明した。


 (村瀬信也)



■リベラル、鶴見俊輔氏のための言葉 上野千鶴子氏追悼文 2015年7月24日05時02分


http://digital.asahi.com/articles/ASH7R5WJ8H7RUZVL006.html


社会学者・上野千鶴子さん寄稿


鶴見俊輔さん死去 「思想の科学」「ベ平連」93歳



スカートの下の劇場 (河出文庫)

スカートの下の劇場 (河出文庫)


戦争が遺したもの

戦争が遺したもの


特集:鶴見俊輔さん死去


 鶴見さんが、とうとう逝かれた。いつかは、と覚悟していたが、喪失感ははかりしれない。


 地方にいて知的に早熟だった高校生の頃から「思想の科学」の読者だったわたしにとって、


 鶴見さんは遠くにあって自(おの)ずと光を発する導きの星だった。



 京大に合格して上洛(じょうらく)したとき、会いたいと切望していた鶴見さんを同志社大学の研究室に訪ねた。


 「鶴見俊輔」と名札のかかった研究室の扉の向こうに、ほんものの鶴見さんがいると思ったら、


 心臓が早鐘のように打ったことを覚えている。おそるおそるドアをノックした。二度、三度。返事はなかった。


 鶴見さんは不在だったのだ。面会するのにあらかじめアポをとってから行くという智恵(ちえ)さえない、18歳だった。



 あまりの失望感に脱力し、それから10年余り。「思想の科学」の京都読者会である「家の会」に


 20代後半になってから招かれるまで、鶴見さんに直接会うことがなかった。


 それほど鶴見さんは、わたしにとって巨大な存在だった。



 「思想の科学」はもはやなく、鶴見さんはもうこの世にいない。いまどきの高校生がかわいそうだ。


 鶴見さんは、このひとが同時代に生きていてくれてよかった、と心から思えるひとのひとりだった。



 鶴見俊輔。リベラルということばはこの人のためにある、と思える。


 どんな主義主張にも拠(よ)らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬいた。


 何事かがおきるたびに、鶴見さんならこんなとき、どんなふうにふるまうだろう、と考えずにはいられない人だった。


 哲学からマンガまで、平易なことばで論じた。座談の名手だった。



 いつも機嫌よく、忍耐強く、どんな相手にも対等に接した。女・子どもの味方だった。


 慕い寄るひとたちは絶えなかったが、どんな学派も徒党も組まなかった。



 哲学者・思想家であるだけでなく、稀代(きたい)の編集者にしてオルガナイザーだった。


 「思想の科学」は媒体である以上に、運動だった。



 このひとの手によって育てられた人材は数知れない。独学の映画評論家佐藤忠男


 「みみずの学校」の高橋幸子、『女と刀』の中村きい子、作家・編集者の黒川創、批評家の加藤典洋……。


 わたしもそのひとりだった。そう言える幸運がうれしい。


 わたしは長いあいだ鶴見さんに勝手に私淑していたが、後になって「鶴見学校」の一端を占めることができたからだ。



 ベトナム戦争のときには、ベ平連こと「ベトナムに平和を!市民連合」と、


 JATEC(反戦脱走米兵援助日本技術委員会)を組織した。


 ベ平連に「アラジンのランプから生まれた巨人」こと小田実さんをひきこんだのは鶴見さんである。



 加藤周一さんらと共に、「九条の会」の呼びかけ人にもなった。


 今夏の違憲安保法制のゆくえを、死の床でどんな思いで見ておられただろうか。



 1996年に「思想の科学」が休刊し、十数年後にその意義をふりかえるシンポジウムが都内で開催された。


 病身を圧(お)して奥さまと息子さんに両脇をかかえられながら、京都から鶴見さんが参加された。


 そのときのスピーチもきわだって鶴見さんらしいものだった。



 「思想の科学」の誇りは「50年間、ただのひとりも除名者を出さなかったことだ」と。


 社会正義のためのあらゆる運動がわずかな差異を言い立てて互いを排除していくことに、身を以(もっ)て警鐘を鳴らした。



 2004年に歴史社会学者の小熊英二さんの企画で、ご一緒に鶴見さんを3日間にわたってインタビューした記録


 『戦争が遺(のこ)したもの』(新曜社)を出したときのことは忘れられない。



 「何でも聞いてください」と鶴見さんはわたしたちのためにからだとこころを拓(ひら)き、


 どんな直球の質問にも答えをそらさなかった。思いあまって詰問調になったときには、空を仰いで絶句なさった。


 その誠実さに、わたしは打たれた。題名を思いついたのはわたしだが、


 話してみて鶴見さんにあの「戦争が遺したもの」の影の大きさを思い知った。



 最終日、鶴見さんの饗応(きょうおう)で会食したあと、


 わたしはこんな機会はもう二度とないだろうと、別離の予感にひとりで泣いた。



 鶴見さんはもういない。もう高齢者の年齢になったというのに心許(こころもと)ない思いのわたしに、


 いつまでもぼくを頼っていないで、自分の足で歩きなさい、とあの世から言われている気がする。


朝日新聞より引用ここまで)

暫定版『日本の若手評論家 誰が「本物」で誰が「ニセモノ」か一覧表』(2015年9月現在)

  ※『「評論家」には「本物」と「ニセモノ」がいるという仮説』を最初から読みたい方は下記をクリック!
    → http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20150907



・「本物」の評論家(国家を監視する庶民の味方?)の可能性大 


 ⇒・「栗原康」(1979年生、36歳 大学非常勤講師)


  ≪代表作≫

           

はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言



大杉栄伝: 永遠のアナキズム

大杉栄伝: 永遠のアナキズム




・「ニセモノ」の評論家(国家の犬?・庶民の敵?)の可能性大


 ⇒・「古市憲寿」(1985年生、30歳 日本の社会学者)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF


   ≪代表作≫


誰も戦争を教えてくれなかった

誰も戦争を教えてくれなかった


だから日本はズレている (新潮新書 566)

だから日本はズレている (新潮新書 566)


絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち





・「本物」の評論家か?「ニセモノ」の評論家か?現在判断保留中


⇒・「荻上チキ」(1981年生 34歳 ブロガーから評論家に転身?)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E4%B8%8A%E3%83%81%E3%82%AD


  ≪代表作≫



ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)


ネットいじめ (PHP新書)

ネットいじめ (PHP新書)



  ※「荻上チキ」氏は、判断保留中だけど、たぶん地頭があんまりよくないので


   仮に「ニセモノ」だったとしても結果「国民」にとっては「無害」の可能性大。


   だから、あまり目くじらを立ててウォッチングしない予定(僕は弱いモノ“いじめ”は嫌いなので(笑))


   (ただし、国民に「事実」を伝えないのは「フェア」じゃないので、下記の【注意喚起】だけはしておく。


    「荻上チキ」氏は、成城大学卒から、ベタに『「東大」の「大学院」卒』への「学歴ロンダリング」パターン。


    大学に一度も通ったことのない人は『「東大」卒なんだこの人!頭いいんだ!』って騙されてくれるけど、


    本当はたいしたことない。大学入試の時は「成城大学」に受かる学力しかなかった人間が、


    「大学院」という、特に文系ではちょっと変わった人物しか行きたがらない、


    かなり競争率の下がった状態で「東大」に入り、


    『自分は皆さんの入れない難関大学「東大」の卒業生なんですよ。


     頭いいでしょ。だから僕の言うことみんなちゃんと聞いてね』と


    地頭の弱さをインチキな学歴でカバーしようというパターンなので…)
    

 (以上 2015年9月現在)※今後動きがあり次第更新予定




                  

「本物」の評論家と「ニセモノ」の評論家を見抜く方法とは?


まず最初に言葉を定義する。


・「本物」の評論家とは、「国家権力」におもねることなく


               「国民(一般庶民)」の利益になる、あるいは、


               「国民(一般庶民)」の不利益を避けるための


               「情報(インテリジェンス)」を提供できる


               (可能性のある)人物。


・「ニセモノ」の評論家とは、「国家権力」の犬となり、(現在、あるいは、将来的に)


                 「官房機密費(=国家の支出=国民の税金!)」から毎月100万円程度を支給され


                 「国家権力」の利益を追求するための活動員として、言いなりとなり、


                 「国家権力」にとって不都合な「情報(インフォメーション)」を「隠ぺい」し、


                 「国民(一般庶民)」に不利益を生む「不正確」な「情報(インフォメーション)」を


                 世の中にばらまく(可能性のある)人物。


参考)内閣官房機密費をもらった政治評論家の名前と金額
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/d4d4986d3298670b2b5a26b42b8b5078


以上、ここまでは言葉の定義。次は実際の分類。

ドラマ「ど根性ガエル」第一話の(愛のある?辛口)感想


最終回までいかないと、最終的な評価はもちろん出来ないが、


少なくとも、第一話だけでいえば、近年まれにみる良作の予感。


平たくいえば「ぐっ」ときた。超余裕で感動の涙が出た(笑)


TVドラマのくせに、心を揺さぶられた。


http://www.ntv.co.jp/dokonjyo/



「色もの」っぽいから見るのやめとこう!


って思っている人は、騙されたと思って


一回見た方がいいですよ、絶対。


伊坂幸太郎「モダン・タイムス」より)



最初は正直、見る気なんて全然なかった。


なんか嫁が元AKBの「前田敦子」が見たいっていうから、


それにつきあわされて、たまたま見ただけだった。


ドラマを見始めてからも、


なんで今さら「ど根性ガエル」なんだよ!昭和か!


きょうび「根性」なんか流行んねえんだよ、


時代はよお、「平成」なの。もう「昭和」じゃないの?


コンプライアンス」なんだよ、わかる?


てか、このドラマシュールだな(笑)


Tシャツのカエルがしゃべるなんて、


日本のCG技術(VFX)も進歩したんだねえ。


って、それが自慢したいだけじゃねえの?


ああ、主演「松山ケンイチ」くんなのね。


NHKの朝ドラ経験者を主演に使っておけば、


ドラマの内容がクソでも視聴率取れると思ってんじゃねえぞ、


視聴者なめんじゃねぇぞ、コラ!


って思いながら見始めたのです(苦笑)



結果、第一話を見終わった今、全力で謝ります(笑)


本当にごめんなさい!!


超面白かったし、超泣けたわ、マジで。(少なくとも第一話は)



まず、上手だったのは、小道具としてのスカイツリー


使い方だね、なんといっても。


冒頭のシーン。超シュールなわけですよ。


漫画(アニメ)を実写化してるわけだからね。


Tシャツのカエルがしゃべってる(笑)


まあ、そのCGが良くできてるっちゃ、良くできてる。


でも、それだけ。なんでこれを「平成」の今、


見せられなきゃいかんのよ。知らんがな!


俺とは無関係。よそでやって下さい。


(イヤなら見るな?チャンネルをお前が変えればいいだろ?


 じゃあ、そうさせてもらいます!)


っていう気分の時に、なんか違和感を感じるのよ。


んっ何かおかしいぞ。なんか変だぞ。


でも何が変なのかわからん。ん〜ムズムズする。


で、衝撃の事実を知らされるわけ。


えっ「ひろし」は「中学生」じゃないの?


えっ「ひろし」は「30歳」で「無職」なの?


なにその設定!超面白そうじゃん!


(「おまえら」と一緒じゃ…以下略)


あっ、そういうことなんだ!


このドラマ(「ど根性ガエル」)は、


もしも…、この「平成」の世の中に


「超昭和」の「ど根性ガエル」が


もし生き残っていたら…(どうなる?)、


っていう「もしもボックス」的な話なの?


ってわかった所で、


あっ、だから「スカイツリー」があったんだ!


「昭和」の話なのに「スカイツリー」が背景にあるのは


変だと思ってたんだよな〜って気づかされるのよ、そこで。


これは、良く考えられてるなあ。スタッフ本気だなあ。


偉いなあ。いい仕事してるなあ。と、自分の立場を棚に


上げながら、感服させられたのです。



あと、詳細ははぶくけど、キャラの造形が良くできてる。


超ダメダメな30歳の「ひろし」のキャラが本当によく出来てる。


超「ダメ」なやつなのに、今も超「いい」やつなのよ、マジで。


で、本当に「まっすぐ」な彼の心が生み出す破天荒な行動は、


まわりを巻き込んで、もちろん迷惑もかけるんけど、


それ以上に人の心を(ドラマの周りの出演者の心だけでなく


視聴者の心も一緒に)動かすんだよね〜。


で、まっすぐで破天荒な「松山ケンイチ」演じる「ひろし」の


行動が奇想天外でオーバーだから、それに対応する


前田敦子(あっちゃん)が全力で(オーバーな)演技をしても、


それがイヤな感じが全然しない。だから配役もおみごと。



いや、演出自体は、基本的にはベタ、ベタ、ベタ、ベタ、


まさに「ベタ」のオンパレードなんだけど、


全然嫌味がない。てかむしろ「すがすがしい」。


「ベタ」に勝るものはないと素直に思える。


たぶん、バリバリ伏線はりまくってたから、


ベタに最終回で「ピョン吉くん」が××しちゃうんだろうけど


それまでに「30歳」で「無職」の「ひろし」くんが


どう成長してくれるのか?


どんな風に(視聴者を含めて)周りをうまく


巻き込んでくれるのか?


すげ〜楽しみ!


素直に第二回を見たいと思えました。



スタッフの皆様、いい作品をありがとうございます。


是非、最終回までこのテンションで走り切って下さい。


(くれぐれも「○○妻」のように第五話で失速、


 クソドラマの仲間入りをして、


 最後クソエンディングで終わる…の


 二の舞にならないようにだけ宜しくお願いします!)

2020年「日本」は「イオン」の国になる!?という仮説

新年明けましておめでとうございます。


本日は、このまま行くと「日本(ニホン)」は「イオン」という国名になって(語呂は良い!)


「ジャパニーズ」は「イオニーズ」と呼ばれるようになるかもしれない(笑)という


「とんでも」っぽい記事を「あえて」書きます。


例によって、「そんな訳ないだろ!」と笑い飛ばしていただいても結構ですが、


「日本」がこれから先、どんな「国」になって欲しいと思ってますか?というのを


わかりやすく言おうとすると、これが一番早い気がするので、これで行ってみます。


結論から言うと、「元気」と「活力」のない「国」でいい!というならば、


今のままでOK!です。みんなで「イ●ニーズ」になりましょう!


でも、みんながみんな「安い!」「ハッピー!」と言って


イ●ンのプライベートブランド「トッ●バリュー」の商品ばっかり買い続けることが、


どんな未来を生み出すことになるのか?一度考えてみてから、未来を選択してみませんか?


参考)こんなこと言い出した背景には、賛否両論あるとはいえ、昨年2014年に


   「マイルドヤンキー」なる言葉が生み出されたことと関係がないとは言えないだろう。



   昨年2014年は、地方のイオンショッピングモールの活躍が注目された年でもあった。


   ・なんでも揃うイオンSCは夢の国
    http://d-illust.com/yankee/#SC
   

   ・イオンで過ごすGW これからの主役はマイルドヤンキー?
    http://dot.asahi.com/dot/2014050200011.html


   ・マイルドヤンキーには選択肢がないという話
    http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2014/05/12/132012


■大人が「いいもの(価値あるもの)」にちゃんとした対価(お金)を払わなくなってきた


日本の最近15年の集大成がこれ。その意味するところは何なのか? 一言でいえば、 


『大人が「いいもの(価値あるもの)」にちゃんとした対価(お金)を払わなくなってきた


 ツケが一気に来たんだな〜』と言うことである。


もちろん、消費者として、「いいもの」を「安く」手に入れたいという欲求は、


極めて自然であり、当たり前のことなので、それ自体を否定する気はさらさらない。


だが、しかし、不景気ってやつが長引き過ぎたのが原因かもしれないが、


いつのまにか、「いいものを安く」ではなく「安ければいい」あるいは、


「多少質が悪くても安いものの方がいい」が当たり前になり過ぎてしまったのでは


ないだろうか?(わかりやすく言えば、あらゆる分野での「ユニ●ロ」化が進み過ぎた件)


これって、今さらながら冷静に考えると、結構ヤバい状況なんじゃねえの?っていうのが


今回の記事のメインテーマです。


みんなが「イ●ン」の「トッ●バリュー」でいいや!になってしまうと、


売れなくなってしまうものは何か?


それは、ちょっと「高い」けど「こだわり」のある「(良質な)いいもの」である。


それは同時にちょっとでも「いいもの」を生み出そうとする「職人(アーティスト)」達、


言い換えれば、いわゆる「プロ」と呼ばれる人たちが世の中から死滅・絶滅することを


意味しているのではないか?(音楽業界のCDの売れ行きを見れば一目瞭然)


そして、「プロ=いいものを市場圧力を超えて売ろうとする人たち」が死滅した世界は、


我々が想像している以上に「つまらない世の中」なんじゃないか?


※これは、未来永劫「ビートルズ」的な存在が生まれない世界ってことです


「プロ」の「こだわり」に対して「敬意」を持ち、その対価として「お金」を払うという


20世紀には当たり前だった価値感が失われた世界、


そんな世界に「元気」や「活力」なんか生まれようがないんじゃないか?


すげー暗い未来がやって来るんじゃねーの?


つーか、もう来てるし。っていう気がしてならないのだ。


そうなったカラクリは、こうだ。


売れなくなると、生産したくても生産出来なくなるのが、


我々が当たり前のように受け入れて暮らしている「資本主義」とやらの


欠点といえば欠点である。なぜなら「売れない」ものを売っていても、


利益が上がらず、給料を発生させることが出来ず、そのうち会社は潰れるので、


従業員(=裏をかえせば消費者のことである)が食べていけなくなくなってしまうからだ。


じゃあ、どうすればいいの?


ここで我々は2つの「未来」を選択出来る。


【未来1】


ちょっと「高い」けど、「いいもの」には「お金」を払ってでも「買うよ」っていう


アナウンスメント(宣言・意思表示)をして、実際にそういう消費行動をとる「大人」


に、今からでも「なる」。そして将来を担う「子ども」たちにもその意義をちゃんと伝える。


それは、「こだわり」を持った「プロ」の生活を支えることにつながり、


ちょっとずつでも社会全体が「元気」と「活力」を取り戻すきっかけになるかもしれない。


【未来2】


そんなこと言うけど、実際問題「いいもの」を買えるような「お金」は手元にないんだ!


だから、これからも「安い」ものを買い続けるぞ!


それに私は、僕は「イ●ニーズ」で結構。


だって安くてもそれなりに「いい」商品だから本当は不満なんかないんだもの。


それは、一方で「こだわり」を持った「プロ」の死滅を意味し、


社会全体の「元気」も「活力」も失われていくことにつながっている。


でも、そんな社会全体のことなんか言ってられない。私は私。


これからは「個人主義」の時代だって、誰か偉い人が言ってなかったけ?


【未来の選択 ここまで】


こうして、言語化してみると、民意としては、


後者【未来2】の方が大勢を占めそうな気がする。


やっぱり「日本」は近い将来「イ●ン」の国にならざるを得ないのかもしれない。


私が言いたいことは、「フラット化する社会」って超絶に


「つまらない」社会なんじゃないの?ってことかもしれない。


その要因は、もちろんインターネットの普及とかを含めて、いっぱいあるんだけど、


戦後日本特有の「悪平等主義」もその要因の一つかもしれない。


せめて「スゴイ」人(=プロ)を称賛してもいい、という空気は、復活させた方がいい気がする。


今や(本当は「才能」って意味のはずの)「タレント」というカテゴリーの人たちでさえ、


「スゴイ」って部分(能力を磨く)で勝負しても稼げないので、


みんな、せっせとブログを更新して、「私たち特別じゃないですよ〜、


(一般の)皆さんと同じなんですよ〜」、ってアピールしてようやく稼げる、


そんな状況下で、「突出した(=スゴイ)個人」が生まれてくるのか?


いや、必然的に無理でしょ。。という「ジレンマ」から抜け出す方法はないのか?


を今年は考えてみたい。


えっ?なんで「突出した(=スゴイ)個人」が必要なのかって?


そんなもん、人間は「輝く」ために生まれてくるからですよ。


「突出した(スゴイ)個人」は「輝いてる」から、それを見てる人たちに、


「元気」と「活力(生きる力)」をおすそわけ出来るんですよ。


だから「突出した(スゴイ)個人」=「プロ」のいない世界は「平ら(フラット)」で、


百歩譲って、一部の皆さんが大好きな「平等っぽい」社会かもしれないけど、


誰も「元気」も「活力」も、そして何より「物語」も供給できない、


超「つまらない」世界なんですよ。


で、こういう話になると、だいたい、「鶏が先か?卵が先か?」でうやむやになる。


例えば、CD売れない話になると、いや「いい曲」が提供されてれば俺は「買う」。


ろくな曲がないから買わないだけだ。それが市場原理だ!(ドヤッ)


ってなる。まあ確かにごもっとも。


でもその一方で、そのCD売る側の人たちが、そんなあなたにも届く曲を


なんとかして作りたい⇒昔売れてたCD何だっけ?⇒あれに似てるの作ってみよう!


結果、「猿まね=二番煎じ=縮小再生産」を繰り返し⇒今、市場が壊滅状態。


になってる側面もあるわけで、消費者の側が「いいもの」作ってくれたら


ちゃんと「お金」払うよ。って意思表示することで、逆の「流れ」を生み出せない


かな〜、という、かなり無理な「妄想」を爆発させているだけである。


でも、そんな、かなり無理な「妄想」が影響力を持ちうるのが


「フラット化した社会」の唯一プラスな可能性だからな〜。


「あきらめたらそこで試合終了」だし、じわじわと進めてみよう。


うん。まあ、そんな感じで今年はスタートしてみるかな。


てなわけで、私は「イ●ニーズ」にならなくて済む道を模索していきます。


駄文を最後まで読んでいただいた方、どうもありがとうございます。


では皆様、今年も宜しくお願いいたします。